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2017/03/22

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スペシャルコラムドラッカー再論

第66回

我々は経営において、いかなる「目標」を設定しなければならないか。

  • マネジメント
前項までで、我々は経営において「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか」を徹底して検討し決定することが最も重要であることを見た。

しかし、それだけでは充分でない。
事業の定義、事業の目的とミッションについての定義は、目標として具体化しなければならない。

「なぜならば、そのままでは、目的とミッションは、決して実現されることのない洞察、意図、スローガンに終わるからである」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)

ドラッカーは、目標が必要とされる八つの領域を挙げている。それは、

(1)マーケティング
(2)イノベーション
(3)人的資源
(4)資金
(5)物的資源
(6)生産性
(7)社会的責任
(8)必要条件としての利益

だ。

事業は顧客を創造することができなければならない((1)マーケティング)。さらに事業は陳腐化しないために絶えずイノベーションすることができなければならい((2)イノベーション)。
この2つを実行するために、あらゆる事業は三つの生産要素~人・金・物を資源として必要とする。したがってこれら三要素の獲得と利用についての目標が必要だ((3)人的資源(4)資金(5)物的資源)。
事業が発展し続けるには生産性の向上が不可欠である((6)生産性)。更には、事業が社会の中に存在する以上、社会的責任を果たさねばならない((7)社会的責任)。

そして最後に、利益が必要だ。あらゆる目標が何らかの活動を必要とする。したがってその活動資金としてのコストを必要とする。それらのコスト、また活動リスクのための蓄えとして、利益が必要となる。
利益自体は目標ではない。上記の活動のためのコスト、リスクへの備えとしての必要条件であるだけだ((8)必要条件としての利益)。

「これらの領域についての目標が五つのことを可能とする。事業の全貌の把握、個々の活動のチェック、とるべき行動の明示、意思決定の評価、現場での活動の評価と成果の向上である」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)

これら八つの領域すべてに目標が必要だ。具体的な目標を設定していない領域は、必ずないがしろになるとドラッカーは指摘する。

また、その一方でドラッカーは、「目標を拘束衣にしてはならない」とも戒める。
目標とは、期待に過ぎず、期待は推測に過ぎない。

「目標とは、事業の外にあって事業の支配の及ばない世界についてのものである。しかも、外の世界はとどまることがない。目標は絶対のものではない。方向づけである。命令されるものでもない。自ら設定するものである。未来を定めるためのものでもない。未来をつくるために、資源とエネルギーを動員するためのものである」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)

目標により具体的かつ明確な行先を見定め、その到達状況をモニタリングし、かつ、目標にしばられない。
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まさに我々経営者に求められる姿勢だろう。折しも新年度を迎えるこの時期、しっかりと戒めとし行動していきたい。

※経営者は孤独だ。独りでこれらの作業を行うことには自問自答の迷いも多く、正しい道に進んでいるのかの道しるべも欲しくなる。
ガイドラインやナビゲーター、また、ともに行う仲間達が欲しい、という経営者諸氏には、ぜひ、以下のプログラムを活用頂きたい。
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プロフィール

  • 井上 和幸

    井上 和幸

    株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO

    1966年群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社リクルート入社。人材コンサルティング会社に転職後、株式会社リクルート・エックス(現・リクルートエグゼクティブエージェント)のマネージングディレクターを経て、2010年に株式会社 経営者JPを設立。企業の経営人材採用支援・転職支援、経営組織コンサルティング、経営人材育成プログラムを提供。著書に『ずるいマネジメント 頑張らなくても、すごい成果がついてくる!』(SBクリエイティブ)、『社長になる人の条件』(日本実業出版社)、『ビジネスモデル×仕事術』(共著、日本実業出版社)、『5年後も会社から求められる人、捨てられる人』(遊タイム出版)、『「社長のヘッドハンター」が教える成功法則』(サンマーク出版)など。

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