TOP 異能の経営者 ~ I know. ~ 【米田純氏】野球に関わる仕事がしたくて会社を選んだ。(Vol.1)

2018/10/18

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異能の経営者 ~ I know. ~

第6回

【米田純氏】野球に関わる仕事がしたくて会社を選んだ。(Vol.1)

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――徹夜しても書けないなんて。

 

いや、本当に。やっと書けても目の前で破られて「お前、なんやこの企画!」って怒鳴られたり。昔はそんなこともありました。それが気がつけばパッと企画書も書けるようになっていきました。収支のポイントもわかるようになって。

 

――それは数をこなしたからっていうことですか?

 

そうですね。本当に血尿が出るほど徹夜でやり続けましたよ。当時はまだ20代中盤から後半と若かったですから、吸収力もあったんじゃないでしょうか。

 

――先輩や上司からも教わりながら、ということでしょうか。

 

ええ、もう本当に徹夜でやりながら先輩の見よう見まねで色々覚えていって、やっていくうちに面白くなっていきましたね。面白くなったらもっと勉強して、という繰り返しです。

 

――当時の西武って、糸井重里さんが「おいしい生活」というコピーを書いて話題になったり、「文化発信」みたいな側面があったと思うんですが、そういう部分のマーケティングの師匠みたいな方とかっていらっしゃったんですか?

 

そうですね。直属の上司が師匠でしたが、とにかく当時の上司というのは怖かったですよ。さっきも言ったように、企画書の出来が悪ければ怒られますから、何とかその人に認めてもらおうと思って必死でやってましたよね。一回だけ褒められたことがありますけど、一回だけです。

 

――うわあ。もうとにかく現場で徹底的に鍛えあげられるというか、考えさせられるという感じなんですね。それでプロになっていくと。

 

いやあ、本当に企画のプロフェッショナルになったかというと、それはなってないと思うんですけどね。

 

――あれ、プロではないんですか?

 

企画って2種類あると思っていて、「売り上げを上げるためにやるんだ」といって一個一個情報を積み上げながら「じゃあこういうのがいいね」っていう結論出すタイプと、そういうの関係なくプロモーション型というか、「今こういうのやったら面白いじゃん」みたいな感じでやるタイプ。

 

――積み上げ型と感覚型、みたいな感じですか。

 

ええ、僕はどっちかっていうと前者の積み上げ型の方だったので、そういう意味においてはすごく発想力が豊かだったとか、すごくいい企画マンだったかというと、そうではないかなと思います。ただ企画の立て方だとか、売り上げの構築の仕方だとか、お客さんに対してどういう価値を提供するんだとか、そういう基本的な構造は学ばせてもらいましたね。

 

 

■ 苦労して身につけたスキルはすべて、起業した今も役に立っている。

――もともと野球がお好きだったわけですが、「野球に関わる仕事に」という気持ちはもうなくなっていたのでしょうか。

 

いえ、本部に行ってからも自ら手を上げてライオンズのプロモーションをずっと担当していましたし、その時も当時の球団代表に「なんとか球団に入れないですか?」って言ってました。「用具係でも良いから入れてください」って(笑)

 

――それで、どうだったんですか?

 

セゾングループと西武鉄道グループは全然違うので「ちょっとセゾンからは入れないんだよね」ということで、それで諦めたんですけどね。

 

――“ライオンズのプロモーション”と仰っていましたが、優勝した時に大々的にやるものですか?

 

そうですね。当時はライオンズも強くて商品も本当によく売れましたからね。池袋での優勝セールでは入場制限をしたほどです。通路がすべて人で埋まってしまうほどでした。

 

――チームの体制で言うと、森監督の黄金期でしょうか?

 

そうですね。渡辺久信さん工藤公康さんとか、あの頃ですね。松坂投手が入ってくるちょっと前の時が一番すごかったですかね。

 

――米田さんご自身も、実際に西武百貨店の売り上げに貢献することは常に考えていらっしゃったわけですよね。

 

そうですね。売り上げ貢献といっても、売り場ではなくて間接部門でしたけど、当時はお金も結構ありましたから、そういう意味ではすごく好きなことやらせてもらいましたね。
当時は「西武は面白いことやらなきゃダメ」ということで、色んなタイアップを沢山やらせてもらいました。

 

――具体的にどういったタイアップですか?

 

例えば当時F1がものすごく人気で、フジテレビとタイアップして「F1展」みたいな催しをやったり、深夜番組とタイアップしたりとか。「カノッサの屈辱」という番組があって、展示会もやりました。

 

――あれは当時めちゃくちゃ人気番組でしたね。

 

ええ、あとはテレビドラマとのタイアップもやりましたし、西武美術館が池袋にあったので美術館に展示されているモチーフを使ってイヴサンローラン展をやったり、イヴサンローランカフェを併設させたり、面白がりながら色んなことをやらせてもらいましたね。

 

――企画を経験してから、次はどちらに?

 

その後は本部の営業施策部ですね。そこで営業分析課というところに配属されまして、名前の通り分析をするわけです。当時36店舗くらいありましたが、全店の利益計算というか、差益率の分析ですね。これも全然わからなくてまた大変でした。

 

――経験が無いことばかりを次々に担当していったんですね。

 

まあでも、今思い返せばその時に苦労して身につけたスキルというのは全て役に立っていますよね。財務三表も企画書もその時に全部読めるようになったので、そういう意味では当時の苦労は必要だったと思っています。

 

 










【第1回 異能ポイント】
◎経験が無いことでも必死にやっていれば、いずれ全て
自分にとって役立つものになる。

 
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プロフィール

  • 米田 純氏

    米田 純氏

    Food's Style株式会社 代表取締役社長

    1953年、神奈川県生まれ。野球漬けの子ども時代を送り、早稲田大学では体育会準硬式野球部に所属。卒業後、西武百貨店に入社し、池袋店・紳士服売り場を経て、営業政策や店舗運営、販促など本部でマーケティングに従事。2003年楽天に入社後、百貨店での業務経験を生かし、楽天市場ユーザーマーケティング部門にて勤務。その後、同社のプロ野球参入に伴い、東北楽天ゴールデンイーグルスの立ち上げを牽引し、初代球団代表に就任。2013年にプレンティUSAを設立、代表取締役社長CEO。2016年にFood’s Style株式会社を設立、代表取締役社長就任。

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