2017/06/19
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スペシャルコラムドラッカー再論
第78回
組織におけるそれぞれの側面の理解と配慮、対応。
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
「企業、政府機関、大学、病院のいずれであれ、組織の中の人間に経済的な分配をするには、決定権をもつ中央集権の権力が必要である。資本主義のせいでも何々主義のせいでもない。現代の組織が社会の機関であって、組織の外の世界に満足をもたらすために存在するという基本的な事実のゆえに権力は必要である」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
ドラッカーはここで何を言っているかというと、いかなる組織であれ、組織は「組織の外」=市場における顧客から収入を得て、それを組織内の人間の間で配分することになるが、ここで問題となるのが、
「現代の組織は、組織の中の人間それぞれの貢献に、それぞれの収入を直接結びつけることができない。社長から掃除人にいたるまで、誰がどれだけ売上に貢献したかを、おおよそでも測定することはできない」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
ということだ。1億円を売り上げた営業だけがえらい訳ではない。そのプロセスで貢献したマーケティングやサポートスタッフもいれば、社長が築いた企業ブランドもあるだろう。貢献はそれぞれに存在しているのは確かだが、では、それはそれぞれ、1億円の売上に対して具体的に幾らずつの貢献なのかについては確定することは難しい。
「いえることはただ一つ、全員の貢献が必要だということだけである」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
であるから、
「収入を組織の中の人間の間で分けるための権力が必要となる。企業であれ、病院であれ、現代の組織そのものが、必然的に富の再配分機関である」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
ドラッカーが権力を語るのは、一見違和感を感じるところもあるのだが、企業や組織の現実を冷徹までに見るドラッカーにして、分配に関してはトップマネジメントの権力によって決めざるを得ないのだという事実を述べているのは興味深い。
「再配分の決定は経済的たりえず、政治的たらざるをえない。需給、慣行、伝統その他諸々の要因の影響を受ける。しかし、つまるところは、権力による決定は誰かによって行われざるをえない。この決定を行わずにすませられる組織はない」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
さて、最終的に働くことと組織の持つ、生理、心理、社会、経済、権力(政治)、分配の各側面は、何を持って優先されマネジメントすべきものだろうか?
マルクスをはじめとする多くの古典経済学者は、経済的側面が他の全てを解決する。経済関係さえ変えれば、他の問題はなくなると考えた。
しかし現実は、富の再分配のコントロール(搾取する者からの生産手段の収用)が働く者の状況をなんら変えないことが明らかになったときに破綻した。(経済的問題すら解決することができなかった。)
マズローは欲求の5段階説を唱え、経済的な欲求を最下段に、自己実現を最上段に位置づけた。
しかしマズローが気がつかなったことに、欲求は満足させられていくに従い、重要性だけではなく性格を変えていくという事実があった。
経済的に満たされば満たされる程、喜びは逓減していく。
所得は個人で800万円、世帯で1500万円を超えると、金融資産は1億円を超えると、「幸福度」はそれ以降は増えないというリサーチ結果がある。
ハーツバーグ的に言えば、経済的な報酬は動機づけ要因から衛生要因へと変わる。
「われわれは既に、このことがマズローの他の欲求についてもいえることを知っている。欲求は、満足させられるほど動機づけとしての力は弱まる。しかし、その不足は不満を増大させ、やる気を失わせる力を強める。さらに、マズローが暗にいおうとしていたこととは逆に、欲求の満足に従い、労働の各側面の性格が変化していく。報酬が、働くことの経済的側面から、社会的側面あるいは心理的側面のものへと変化していく」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
今日、我々は、人と組織を生産的なものとするために必要なことを知り、それを活かし、生産的に仕事をしなければならない。
次回以降、ドラッカーが解説する「仕事を生産的なものとするには」について見ていきたい。