TOP スペシャルコラムドラッカー再論 働くことの5つの側面。

2017/06/12

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スペシャルコラムドラッカー再論

第77回

働くことの5つの側面。

  • エグゼクティブ
  • マネジメント
前回、ドラッカーが仕事と働く人の関係について、「働く人が自分の挙げた成果に満足したとしても、仕事が生産的でなければ失敗であり、逆に仕事が生産的であっても、働く人が成果をあげられなければ失敗だ」と述べていることを紹介した。

人が働くということは、機械が働くこととは大きく異なる。昨今、AIが早晩多くの人間の仕事を奪うだろうという予測が巷間を賑わせているが、ドラッカーも既に40年以上前に『マネジメント』でそのことに触れていた。

「機械は一つの単純なことだけを反復して行うとき、最もよく仕事ができる。機械はスピードとリズムの変化が少なく、動かす部分が少ないほど、よく仕事ができる。人はそうはいかない。一つの仕事や作業には適さない。力もなければ持続力もない。疲れやすい。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)

なんだが身も蓋もなく、寂しい限りだが、そんな人間の「良さ」としてドラッカーは、調整力に優れ、知覚を行動に結びつけることができ、筋肉、感覚、見解を動員するほど、よく仕事ができるようになる点を挙げている。

ドラッカーは、上記のことを1点目としつつ、働くことの5つの側面に着目した。

(1)第一に、生理的な側面がある。人は機械絵はなく、機械のように働きもしない。
(2)第二に、心理的な側面がある。人にとって、仕事は重荷となる一方において、必要ともなる。
(3)第三に、社会的な側面がある。組織社会においては、働くことが人と社会をつなぐ主たる絆である。
(4)第四に、仕事とは生計の資である。仕事は働く者にとって、生計の糧であり、存在の経済的な基盤である。
(5)第五に、政治的な側面がある、集団内、特に組織内で働くことには権力関係が伴う。

要は、我々人間は、機械のようなInput/Outputだけで成り立っている訳ではないということだ。
人と組織を機能させるために、我々経営者は、上記のような「生き物ととしての人」「社会的生活者としての人」「集団形成者としての人」の側面からマネジメントしなければならないということだ。

昨今、人を扱うことの面倒臭さや非効率性が取り上げられることが多い。
確かに資本主義社会で競争を展開している我々企業人は、今後、テクノロジーの更なる発展によって、より多くの部分を「人間より機械」という代替で推し進めることは間違いないだろう。
だからこそ、改めて、「人が人でなければできないこと」「人がやること、集団で力を発揮する方がよいこと」について確認検証を行いながら、その力をよりよく活かしていくことが求められており、問われているのだ。

プロフィール

  • 井上 和幸

    井上 和幸

    株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO

    1966年群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社リクルート入社。人材コンサルティング会社に転職後、株式会社リクルート・エックス(現・リクルートエグゼクティブエージェント)のマネージングディレクターを経て、2010年に株式会社 経営者JPを設立。企業の経営人材採用支援・転職支援、経営組織コンサルティング、経営人材育成プログラムを提供。著書に『ずるいマネジメント 頑張らなくても、すごい成果がついてくる!』(SBクリエイティブ)、『社長になる人の条件』(日本実業出版社)、『ビジネスモデル×仕事術』(共著、日本実業出版社)、『5年後も会社から求められる人、捨てられる人』(遊タイム出版)、『「社長のヘッドハンター」が教える成功法則』(サンマーク出版)など。

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