TOP スペシャルコラムドラッカー再論 マネジメントであるとは、現実に責任を持つこと。

2016/09/20

1/1ページ

スペシャルコラムドラッカー再論

第43回

マネジメントであるとは、現実に責任を持つこと。

  • エグゼクティブ
  • マネジメント
  • 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO 井上和幸

2016年度も上半期終了、下半期スタートの折り返し地点間近となり、経営者の皆さんも下半期計画の確認や更新、あるいは設定に取り組まれていらっしゃることと思う。
 
その中で、各事業部門毎の目標設定を、皆さんはどのようにされていらっしゃるだろうか?
あるいは幹部の皆さんは、自部署の目標設定を、どのようにとらえていらっしゃるだろうか?
 
「マネジメントたる者は、自らが率いる部門の目標は自ら設定しなければならない。上司は、そのようにして設定された目標を承認する権限を持つ。だが、目標の設定はあくまでも部門長の責任であり、しかも最も重要な責任である」(『マネジメント——課題、責任、実践』、1973年)
 
ドラッカーは、マネジメントとは、自らが率いる部門がその属する上位部門に対してなすべき貢献、企業全体に対してなすべき貢献について責任を持つ者である、と定義づけている。
 
「その仕事は、下ではなく上に向かって行われる。すなわち目標は、その属する上位部門の成功に対してなすべき貢献によって規定される」(『マネジメント——課題、責任、実践』)
 
普通、会社の計画設定は、経営者→役員→部門長→部長→課長…と卸されるように認識していると思うが、ドラッカーは、「下(一階層下の)が上位の目標設定に責任をもって参画し、その上で自部門・自部署の目標設定をするのだ」と力説している。
 
動機付け論的な「参加意識」などというものではなく、マネジメントであるということは、現実に責任を持つことなのだとドラッカーは言う。うむ、確かに。
 
そういう意味では、マネジメント(あるいはマネジメントチーム)を甘やかしている経営者は少なくないと思う。(僕自身も大反省だ。)
 
「事業全体の究極の目標は何であるか」を知り、理解し、そのために「自らに何が求められ、それはいかなる理由でか」「自らの成果は、何によって、いかに評価されるか」を知り、理解しなければならないのが、マネジメントにあるものの責務だ。
 
「上位の部門に対して貢献をなすべき者は全員、その上位の部門の目標について徹底的に考えなければならない。言い換えるならば、上位の部門の目標設定に対し、責任をもって積極的に参画するようになっていなければならない」(『マネジメント——課題、責任、実践』)
 
これは要するに、全体(全社、全事業)の目標について、上と下のマネジメントですり合わせを行い、その上で共通の方向づけをした上で、下の各部門、各部署の目標設定をおこなうことを指している。
 
全社目標と各部目標を、上と下とで合致させて設定し徹底コミットしていく。
皆さんの会社の「目標設定会議」は、こうしたすり合わせ機能を実現しているだろうか?下半期スタート目前のいま、チェックしてみることには大きな意味があるだろう。

プロフィール

  • 井上和幸

    株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO

    1989年早稲田大学卒業後、リクルート入社。2000年に人材コンサルティング会社に転職、取締役就任。2004年よりリクルート・エックス(現・リクルートエグゼクティブエージェント)。2010年に経営者JPを設立、代表取締役社長・CEOに就任。 『社長になる人の条件』(日本実業出版社)、『ずるいマネジメント』(SBクリエイティブ)『30代最後の転職を成功させる方法』(かんき出版)など著書多数。