2016/03/28
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スペシャルコラムドラッカー再論
第19回
ドラッカー流人事。
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
ドラッカー流の人事の考え方は、「凡人が非凡なことをするのを可能にすること」にある。
「組織は天才に頼ることはできない。天才は稀である。当てにはできない。凡人から強みを引き出し、それを他の者の助けとすることができるかどうかが、組織の良否を決める」(『経営の真髄』)
だから、組織の役割は、人の弱みを無意味にすることにあり、一人ひとりの強みを存分に発揮させることにあると語る。焦点は、弱みではなく、強みに合わせる必要があるのだ。
「組織の精神とは、仲良くやっていくことではない。組織における判定基準は、成果であって仲の良さではない。仕事上の成果にもとづかない人間関係は、貧弱で、貧しい精神をもたらすだけである」(『経営の真髄』)
組織の焦点を成果に合わせる。個人としても、組織としても、成果の基準を高く持つ。成果をあげることを習慣化する。成果は、常に成功することではない、打率である。間違いや失敗を許す余地が必要である。そして、あってはならないのは、自己満足と基準の低さなのだ。
組織の焦点は、問題ではなく機会に合わせられなければならない。
配置、昇給、昇進、降格、解雇などの人事決定は、組織の信条と価値観に合わせて行われなければならない。
これら人事に関わる決定は、真摯さこそが唯一絶対の条件であり、すでに身につけていなければならない資質であることを明らかにするものでなければならない。当然、マネジメント自身が自ら、真摯さを明らかにしていかなければならないのだ。
さて、ドラッカーが常に語る「真摯さ」。人事における真摯さとは、何なのだろう?
「真摯さを定義することは難しい。しかし、マネジメントであることを不適とすべき真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない」(『経営の真髄』)とドラッカーは語る。
そして、ドラッカーが挙げる、「マネジメントにしてはいけない人材の要件」が、以下の通りとなる。必見だ。
・人の強みよりも弱みに目を向ける者をマネジメントにしてはならない。人ができることに目を向けない者は、組織の精神を損なう。もちろん、マネジメントの地位にある者は、部下の限界を把握しておかなければならない。しかし、それらのものは、部下ができることへの限界、部下が挑戦すべき限界として理解しなければならない。
・マネジメントたる者は実践家でなければならない。評論家であってはならない。何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心がある者をマネジメントにしてはならない。誰が正しいかを気にするならば、たとえ策に走るところまではいかなくとも、無難な道をとるようになる。おかした間違いを正すよりも、むしろ隠そうとする。
・真摯さよりも頭の良さを重視する者は、マネジメントにしてはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常直らない。強力な部下に脅威を感じることが明らかな者も、マネジメントにしてはならない。人として弱いからである。
・さらに、自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントにしてはならない。やがて、組織内にマネジメントと仕事に対する侮りを生む。
・知識がそれほどなく、仕事ぶりもお粗末であって、判断力や行動力が欠如していても、マネジメントの人間として無害なことがある。しかし、いかに知識があり、聡明であって、上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとって最も重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損なう。成果を損なう。
「このことは、とくにトップマネジメントについて言える。しかも、組織の精神はトップによって形成される。組織が偉大たりうるのはトップが偉大なときだけである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「魚は頭から腐る」との言葉どおりである。したがって、範とすることのできない者を高い位置につけてはならない」(『経営の真髄』)
いかがだろうか。御社は、上記の通りの基準で、マネジメントの抜擢や降格、あるいは外部採用が行われているだろうか?
そして、なによりも、トップマネジメントは、要件を満たしているだろうか?