2017/12/18
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スペシャルコラムドラッカー再論
第103回
スペシャリストとマネジメント。
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
一直線的に若手、中堅と経た後に(ゼネラル)マネジャーに昇進し、ピラミッド型組織を束ねる責任者となることが昇進の道であったところから、並列的に「専門職」としての昇進昇格の道も拓くことが必要であるということで、これは当時、高度成長期からバブル期に当たり、実態的には年功的に社員を遇していく中でのポストレス問題(割り当てるべき役職が不足する)に対するひとつの方策でもあったように思う。
(そういえばあのころ、役職インフレで、部長・副部長・次長・担当部長、、と、どの人がどの人より偉くて責任や決裁権を持っているのだろうかと迷わざるを得ないような名刺交換が多く、若手の自分としては訳分からないなぁと思っていた記憶がある。)
ドラッカーは、あくまでも本質を見る。
「従来、組織の中に昇進経路は一つしかなかった。より高い地位と報酬を得るにはマネジメントの人間になる必要があった。その結果、認められ報われるべき者の多くが、認められることも報われることもなかった。一方で、マネジメントすることを望みもしなければ、その力のない者でも、単に認められ、報われるためにマネジメントの人間とされた。そのようなことは、今日の組織、特に企業においては、あってはならないことである。人は自由に移動することができなければならない。したがって、機能と地位は切り離さなければならない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
ということで、ではマネジメントのラインとスペシャリストのラインとを切り分けて複線型に、となる訳だが、ここでドラッカーはそれをインレグレートする案を提示する。
「マネジメントに属する者全員をエグゼクティブと呼び、組織内の階層を4つに絞ることも一つの方法である。ジュニア・エグゼクティブ、エグゼクティブ、シニア・エグゼクティブ、コーポレート・エグゼクティブである。そうすることによって、マネジメントの人間とスペシャリストを横断する階層のシステムをつくることができる。例えば、熱処理担当シニア・エグゼクティブ、コスト管理担当マネジャーとすることによって地位と機能を分離することができる。これは、マネジメントとスペシャリストの昇進経路を別建てにするよりも有効に機能するはずである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
知識社会において真のスペシャリストが活躍できる組織を考えるに、スポーツや音楽の世界の監督とスター選手、指揮者、プロデューサーとトッププレイヤーやボーカリストなどの報酬体系のあり方を適用してみれば、我々もたやすく理解できる。ドラッカーもこの喩えを用いている。
スペシャリストを束ねる部門の長は、その部門所属員の多くのメンバーよりも高額の報酬を受け取る。しかし、その部門長よりも多くの報酬を受け取るスタープレイヤーも数名は存在すべきだ。
営業組織においても研究開発組織においても、要するに個人の能力や努力、知識が成果を大きく左右しうるあらゆる分野についていえる(いえばければいけない)。
「マネジメントの人間であれ、スペシャリストであれ、マネジメントの一員であることには違いがない。彼らに対する要求に差があってはならない。マネジメントの人間とスペシャリストの違いは、その責任と成果において、マネジメントの人間のほうが一つだけ余分な側面をもっていることにある。50人の部下を持つマーケットリサーチ担当部長と、一人の部下ももたずに同じ仕事をするスペシャリストとの違いは、機能でも貢献でもなく、手段にある。両者に要求されるものは同じである。彼らはいずれもマネジメントである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
ここで、前回(VOL.102)で触れたドラッカーのマネジメントの定義~マネジメントとは、本来的には「人の仕事に責任を持つ」のではなく、「自分の果たすべき貢献に対して責任を持つ」~へと立ち返り、理解することができるだろう。