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2017/12/04

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スペシャルコラムドラッカー再論

第101回

マネジメントは、いつ、必要となるのか。

  • エグゼクティブ
  • マネジメント
マネジメントは不要だ。そう考える経営者は、おそらく(少なくとも21世紀の現在においては)存在しないだろう。

しかし、その「必要度合い」については、いまも様々な考え方があると思う。トップダウン派、ボトムアップ派、ミドルアップダウン派。企業ステージや規模、オーナーシップ形態により、主張も様々だ。

ドラッカーは「マネジメントの人間をいかにマネジメントするかによって、組織の目的が達成されるか否かが決まり、組織の中の人間や仕事が適切にマネジメントされるか否かが決まる」、だからマネジメントは必然であると言う。
それはやはり、企業が一人orごく少数の人間の手で運営される段階を超えたとき、業務や組織が複雑化するところで必要となることを指している。

「オーナー経営者がワンマンで経営する企業から、マネジメントを擁する企業への変身は、物質における液体から個体への変化に匹敵する変化である。(中略)企業もある一定の規模と複雑さに達すると、マネジメントを必要とする。トップマネジメント。チームという骨格が、オーナー兼企業家という皮膚と交代する。それは皮膚が進化したものではない。完全な交替である。組織が皮膚から骨格へと転換すべき段階はどこか。従業員の数で見るならば、300人から1000人の間のどこかであろう。あるいは、もっと重要なのは複雑さの度合いである。多様な仕事が、協力して、意志を疎通させつつ同時に遂行される必要が出てきたとき、組織はマネジメントを必要とする。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)

ドラッカーがこれを『マネジメント–-課題、責任、実践』で著した時に比べれば、技術は乗数的(マルチプル)に、あるいは指数関数的(
エクスポネンシャル)に発展している(それはもちろん更に加速しつつ続いている)ため、当日に比べて組織規模は同じ事業成果を出すにあたって小さくなっているから、いまで言えば100人から500人、いやデジタル系のビジネスを中心に見れば10人から100人、かもしれない。
よって重要なのはドラッカーが言う通り事業・業務の「複雑さの度合い」だろう。

マネジメントを欠くときに、組織は管理不能となり、計画は実行に移されなくなる。最悪の場合、計画の各部分がてんでばらばらに勝手な速度、勝手な目的・目標のもので遂行されるようになる。事業の目的ではなく、上司に気に入られることのほうが重要になる。そんな風にドラッカーは弊害を説明する。

「ヘンリー・フォードはマネジメントをもとうとしなかった。その結果は、方向づけを誤り、疑心暗鬼を生み、組織を壊しただけだった。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)

マネジメントは、なんのために行うのか?

「マネジメントは行わざるをえない。しかし、それがよく行われるか悪く行われるかが、組織が生き残り繁栄するか、それとも衰退し、やがて消滅するかを決める。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)

マネジメントを「良く行う」とは、どういうことか?それについて、ここから見ていきたい。

プロフィール

  • 井上 和幸

    井上 和幸

    株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO

    1966年群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社リクルート入社。人材コンサルティング会社に転職後、株式会社リクルート・エックス(現・リクルートエグゼクティブエージェント)のマネージングディレクターを経て、2010年に株式会社 経営者JPを設立。企業の経営人材採用支援・転職支援、経営組織コンサルティング、経営人材育成プログラムを提供。著書に『ずるいマネジメント 頑張らなくても、すごい成果がついてくる!』(SBクリエイティブ)、『社長になる人の条件』(日本実業出版社)、『ビジネスモデル×仕事術』(共著、日本実業出版社)、『5年後も会社から求められる人、捨てられる人』(遊タイム出版)、『「社長のヘッドハンター」が教える成功法則』(サンマーク出版)など。

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