2018/07/24
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私が経営者になった日
第1回
【木村屋 福永氏】周囲の反対・不安視する声を越えて「再生する」ことを決めた。(1/4)
- キャリア
- 経営
- 経営者インタビュー
- 福永 暢彦氏 株式会社木村屋総本店 代表取締役副社長
●老舗の改革は、中途半端には絶対に終わらせない
木村屋以前に企業再生支援機構で担当した経営再建案件で学んだことがあった。それは、人を気持ちから変えるのは簡単ではないが、一旦数字が変わり始めたら、自然にみんなの動きが少しずつではあっても変わっていくということだ。
「木村屋は老舗と言われ、有名企業だと自負している社員も多い。外から入ってきた私が、変革するにあたり、『認識を変えねばならない』と気持ちから先に動かそうとすると大失敗するなと考えました。まずは仕組みや戦略を先に走らせて、早く一定の成果を出すこと。さらにそれが、たまたまの成果ではなくて、仕組みや戦略に基づいているからずっとやっていける、となること。そうすれば人の認識や行動も、ちょっとずつでも結果的には変わっていくだろうと思っていました。」
当初狙っていた立て直しはできたとはいえ、決められた期限内の再生案件では特に「社員の認識・行動を変える」点でやり残した感があった。だからこそ、この老舗の改革を中途半端では絶対に終わらせたくない、という思いが強かった。
「木村屋でのスタートは経営共創基盤からの派遣でしたが、『全ては福永の行動に委ねる』という結構フリーな状態、言い換えると『生かすも殺すも福永の取り組み次第』という環境下で構造改革がスタートしました。いわば、自分の責任感だけが拠り所みたいな状態です。でも、そんな中で、実情を見ていくうちに、実は仕組みをちゃんと直したり、戦略をちゃんと正しく立てれば、再生も改革も十分やれるなという確信が生まれました。そして、それを何とかして果たしていこうと思いました。」
●本当に変えていくための、当たり前の判断
周囲の反対や不安視する声にも関わらず、袋パン事業の再生を決断した福永氏だが、それまでの自分に対して盲目的な信頼があったわけではない。誰と議論しても、供給過剰状態にあり、薄利多売な日配品を扱っていることから、この事業はやめたほうがいいという話が主流だった。
「もちろん周りと逆のことを言ってやれとか思っていたわけでは全くありませんし、120%絶対にやれるという確信があったかというと正直そうではない。でも、自分の目で確かめた製造現場や販売現場には筋道が見えていた、見ようとしたら見えたということじゃないでしょうか。伝統のある木村屋の菓子パン類を長くのこすために、ただ事業を縮小するだけでなく、ともしびレベルかもわからないけれど、伸ばしていくものが同時に見えたということが大きなポイントです。」
最初のこの決断を皮切りに、経営者として、周りから見たら数々の大きな決断をしてきた福永氏だが、「そういう言い方をされるものに関して、自分の中では大きな決断という認識はないんですよね。ただ、本当に変えていこうと思ったら当たり前となる判断をやってきているだけという意識が強いです。」(構成・文/阪本淳子)