2018/07/24
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私が経営者になった日
第1回
【木村屋 福永氏】周囲の反対・不安視する声を越えて「再生する」ことを決めた。(1/4)
- キャリア
- 経営
- 経営者インタビュー
- 福永 暢彦氏 株式会社木村屋総本店 代表取締役副社長
※肩書・会社名は取材当時のものです
【vol.1】周囲の反対・不安視する声を越えて「再生する」ことを決めた。
【vol.2】「そこにオーナーシップはあるか」の差は大きい。
【vol.3】人と仕組みを動かすことが経営の両輪になる。
●多数決ではなく、自分で決断して腹が決まった
福永氏が木村屋総本店の改革に携わるようになってから5年が経つ。初めは株式会社経営共創基盤からの派遣で木村屋総本店に入られた福永氏が、経営者としての自分をはっきり自覚したのは就任2カ月目のことだったという。
福永氏が現在メインで担当しているスーパーやコンビニ向けの袋パン事業は、当初「伝統があるけれど、ここ数十年実際の『実質的な経営』がされていない瀕死の状態」に見えていた。 「事業としては完全に停滞していました。だからこそ、最初に製造現場や販売現場をいろいろ見て、周囲の反対や不安視する声にも関わらず、就任2カ月目にこの事業を“再生する”という決断をした時に、“私が経営者として木村屋の袋パン事業を経営していくのだ”とはっきり意識しました。」 周囲には、設備に多大なお金がかかり競争が激甚なこの事業を無難に収束するとの決断を求めていた人も居たと感じていた。しかし、中身をよく見た福永氏はこれならやれると思ったという。 「当時の周りの意思や、見た目に出てくる数字とかとは真逆の判断だったと言えます。“そうではなくて、この数字は私にはこう見える”“こういうやり方だったらこうなるんじゃないか”と、多数決では絶対に決まらないところを、自分の判断で『こうできる、こうします。だからやりましょう』という話をしました。ここが一番、自分自身でも経営者としての腹の据わり方が決まった時です。」