2018/07/09
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スペシャルコラムドラッカー再論
第129回
成果をあげない状態を大目にみてはいけない!
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
自己目標管理が必要とされ、仕事本位たることが必要とされるのも、仕事の基準を高める必要があるからだ。
そのような中で、ドラッカーは、ある危険性について警告を出す。
「あらゆる組織がことなかれ主義の誘惑にさらされる。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
それは、いったい、どうしてか?
「そのためには、成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中とは数分しか続けようのない曲芸である。優れた仕事ぶりとは、長期にわたり、多様な仕事で成果を生んでいくことである。当然そこには間違いも含まれる。失敗も含まれる。強みだけでなく弱みも明らかになる。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
仕事ぶりは十人十色。ある人は大きな間違いをせずに一定の成果をあげ、しかし突出した成果をあげるということはない。ある人は、平素は平凡な動きしかしないが、危機や転機に際して突出した活躍を見せ一躍スターとなる。
彼らはいずれも成果をあげる人だ。いずれも高く評価しなければならない。ただし、その仕事ぶりは大きく異なっている。
「信用してはならないのは、決して間違いを犯したことのない者、失敗したことのない者である。そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。成果が打率であることを知らないならば、横並びを成果とし、弱みがないことを強みと誤解する。そのようなことでは、組織の意欲を失わせ、志気を損なう。人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを行うからである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
常に平凡な成果、貧弱な成果しかあげられない人は、本人のためにも異動させるべきだとドラッカーは断言する。
能力を超える職務やポストにある従業員は、不安と挫折に悩むばかりだ。本人の手におえない仕事を担当させ続けること、あるいは本人がチャレンジをしない状態で仕事をさせ続けることは、上司の優しさではなく弱さを示すに過ぎないとドラッカーは断罪する。
「成果をあげないことを大目に見ないことは、組織に働くあらゆる人間に対する責務である。成果をあげない者は、組織全体に害をなす。組織を高めるのは成果をあげる者(だけ)である。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
仕事で成果をあげられない場合、そのことから確実に言えるのは、配属人事を誤った、ということだけだとドラッカーは言う。
「いかに慎重であろうとも人事の誤りを避けることはできない。特にそれまで成果をあげていた者が異動後成果をあげられなくなるということは、人事が誤っていたということである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
他の仕事で実績のある従業員がいまの仕事で成果をあげられないならば、その当人のあり方と仕事の中身の両方をすみやかに見直す必要がある。不振、成果の出ない状況の問題の根が、人ではなく仕事のほうであることは、決して珍しいことではない。
適材適所を成立させることは、ドラッカーをもってしても「百発百中はありえない」ことなのだ…。成果に対してチャレンジする状態を死守しつつ、ヒットするまで異動再配置を試みる粘りこそ、マネジメントに必須で求められることのようだ。