TOP 異能の経営者 ~ I know. ~ 【米田純氏】楽天が優勝してもなお、次のチャレンジを開始。(Vol.4)

2018/11/08

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第9回

【米田純氏】楽天が優勝してもなお、次のチャレンジを開始。(Vol.4)

  • 経営
  • キャリア
  • 経営者インタビュー
  • Food's Style株式会社 代表取締役社長 米田 純氏

 

日本食レストランの海外出店をサポートするFood’s Styleの代表取締役社長・米田純氏は楽天で球団を立ち上げ、9年目に優勝を果たした。そこまでの偉業を達成させながらも、今度は50歳を前に「ラーメン店」で起業をし、世界に挑戦していこうと考える。
なぜそのように考え、行動に移していくようになったのか。また、壁にぶつかることはなかったのだろうか。話を聞いた──。

 

 

■50歳を前に起業をし、海外へと挑戦していく理由。

――楽天球団が優勝をした後に起業をされるわけですが、まず、なぜ起業をしようと考えたのでしょうか。

 

話は少し遡りますが、2012年に星野仙一さんが監督になりまして、星野さんが就任したシーズン開幕前に震災があったんですよね。

 

――3.11ですね。

 

ええ、やっぱり震災というのは自分の中で凄く大きな影響があって、知っている方も亡くなられましたし。僕は震災の時はオープン戦の時期なので明石に居て仙台にいなかったんですが、すぐに帰ってあの惨状を目の当たりにしまして。それで、野球というビジネスも地元の人に勇気を与えるものだけど、もっと別の形で世の中に貢献出来る大切なことがあるんじゃないかな、ということも頭の中に出てきて。

 

――あの惨状を目の当たりにして考えられた感じですか。

 

具体的にはボランティアを通じてですね。昔から山頭火の社長とずっと飲み友達だったのですが、「一緒にボランティアにいこう」ということで動きました。僕は石巻の雄勝地区という、津波の被害が本当に酷いところだったんですが、そこに行きまして。

 

――ボランティアでは実際に何をされたのでしょうか。

 

僕が球団のグッズを持って行って、山頭火の社長は山頭火のラーメンを持って行って、僕も一緒にラーメンを作って振る舞って、ということをやっていました。そうすると、「食べること」ってやっぱり「生きること」だな、と凄く実感したわけです。

 

――食べることは生きること。

 

ええ、BtoCの中でやっていなかったのは食のビジネスだけだったので、それから食のビジネスをやりたいと思うようになりました。しかも世界を舞台にしたものをやりたいな、と。
ちょうどその頃、50歳になるかならないかの時期だったので、震災もあって50歳になることもあって、それで決めたという感じですね。

 

――それは所属していた楽天にも伝えたわけですよね。

 

はい、「会社を始めたいから辞めたい」ということで三木谷にも言って。でも「ちょっと待て」と、「あと1年間だけ居てくれ」ということになり、「分かりました。じゃあ2013年のシーズンまで居ます」という話をしましたね。それで僕はアメリカに毎月行ったりと、事業の準備をしていましたが、ちょうど2013年に田中将大投手が凄い活躍をして、優勝した。まあ、それはそれでよかったなと思うんですけどね。ちょうど最後の年に優勝してくれたので。

 

 

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プロフィール

  • 米田 純氏

    Food's Style株式会社 代表取締役社長

    1953年、神奈川県生まれ。野球漬けの子ども時代を送り、早稲田大学では体育会準硬式野球部に所属。卒業後、西武百貨店に入社し、池袋店・紳士服売り場を経て、営業政策や店舗運営、販促など本部でマーケティングに従事。2003年楽天に入社後、百貨店での業務経験を生かし、楽天市場ユーザーマーケティング部門にて勤務。その後、同社のプロ野球参入に伴い、東北楽天ゴールデンイーグルスの立ち上げを牽引し、初代球団代表に就任。2013年にプレンティUSAを設立、代表取締役社長CEO。2016年にFood's Style株式会社を設立、代表取締役社長就任。