2018/02/19
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スペシャルコラムドラッカー再論
第110回
ドラッカーが語る、「仕事の作り方の、やってはいけない“あるある”」。
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
「マネジメントの仕事は、一人あるいはその直接の部下を使うだけでなしうるものにしなくてはならない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
これまた、なかなか難しいことを言うなと思われる経営者が多いのではないかと思う。
「会議や調整を常に必要とする仕事は間違いである。最初から人間関係を織り込むことは無用としなければならない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
なぜならば、そもそもどのような仕事であっても、人間関係はあり余るほど付随してくるものだ。人は、働くか人と会うかだが、ドラッカーは、これは「別物」と言う。
会議を否定するドラッカーは、更に出張に関しても、次のように述べる。
「頻繁に出張しなければならない仕事も間違っている。仕事と会議が同時にできないのと同様、仕事と旅行も同時にはできない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
ううむ…全国を飛び回ってご活躍の諸氏には、やや憤慨するようなドラッカーのものの言い方にも感じるのではないか。
ドラッカーがここで述べていることは、要は「成果」がどこにあるのか、「成果ではないこと(時間)は、極力減らす、なくす努力をしなければならない」ということだと思う。
のっけから「会議や出張をなくすことなどできるはずがない!」と言わずに、いかにこの2つを減らせるか、なくせるか、徹底的に考え実行してみるのも悪くないと感じる。
そのうえで、どうしても成果を出すために必要な会議や出張には、しっかりとした意味と価値があるのではないだろうか。
もうひとつ、ドラッカーは「極力なくせ」というものに、「肩書」を挙げている。
「報奨の不足を肩書で補ってはならない。もちろん、仕事の中身の不足を肩書で補ってはならない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
肩書は地位と責任を現している。これを、中身を伴わずに与えることは、敢えて問題を起こそうとしているのに等しいとドラッカーは直言する。
肩書の乱発は組織内に様々な副作用をもたらす。実力未満で肩書を得てしまったものが、その後、それ以上の肩書や地位を得ることができなければ、それも大きな不満となる。
「したがって、採用すべき原則は、優れた仕事ぶりには報酬を与えることとし、肩書は仕事、地位、責任が変わったときにのみ変えることとすべきである。(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
以前にもこの連載で触れたことがあるが、高度成長期からバブル期(以降、1990年代半ば頃まで)の日本企業では、まさにこの肩書乱発が各処でされていたように思う。
ただ、この点については、ここ最近は、大手であれ中堅中小であれ、かなり妥当なものへと変わってきているのではないかと、様々な企業と経営陣、幹部陣を拝見していて、感じる。
あえていえば、この肩書乱発をいま起こしがちなのは、成長ベンチャー会社かもしれない。
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