2021/07/14
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イマ、ココ、注目社長!
第156回
未知に挑むのは勇気がいる。しかし、チャレンジャーが増えれば社会は明るくなる。
- 経営者インタビュー
- 経営
- 組織
- 注目企業
- 永崎 将利氏 Space BD株式会社 代表取締役社長
宇宙を舞台に活躍する商社、それがSpace BDである。衛星の打ち上げや宇宙空間での実証実験を目指す企業に、技術調整から打上げ実現、運用支援までをトータルサポートする。また、宇宙利用の新たな可能性を開拓し、あらゆる産業に宇宙を開放することも展開する。
しかし、代表取締役社長の永崎将利氏は、宇宙商社というテーマに辿り着くまでいくつもの挫折があったという。
(聞き手/井上和幸)
自分自身が日本を代表する経営者になる必要があった
──永崎さんへのインタビュー記事にあった、「子どもの頃、父から1曲歌えと言われた」というエピソードは、とても興味深く読ませていただきました。
永崎 それは、家族で遊園地に遊びに行った際、子ども向けのショーが始まるので、お弁当を開いて待っていたら、父が「舞台に上がって一曲歌え」と言い始めたというやつですね。その時はとても恥ずかしく、私としては嫌だったのですが、父が怖かったので仕方なく、涙ながらに歌ったのが『仮面ライダーV3』。いまだに歌えます(笑)。
そこには、人前でも臆することのない度胸を身に付けさせたいという父の意図があったようです。「相手が大物でも迎合するな」とか、「大舞台に立って足が震えるようではいかん」など、言われたことがあります。
──それでショーの開始前に舞台に上がって歌ってこい(笑)。素敵です。お父さんの影響は大きかったようですね。
永崎 大きかったと思います。私は九州の小倉で生まれました。原子爆弾が長崎に投下されましたが、計画では投下するのは小倉だったそうです。父から「小倉に落ちていたら俺はいなかった」と言われたこともあります。父は焼け野原のなか、極貧生活を余儀なくされ、進路に選択肢が持てなかったことがあるようです。そのため、自分がやりたかったことや見たかった世界を息子に託したかったという想いがあったのだと思います。昭和の九州男児で、とても厳しいのですが、愛のある父親です。厳しくても私は反抗したりグレることなく育ちました。
──小さいころは表に出るのは苦手なタイプだったのですか?
永崎 嫌われるのが苦手で、どう思われるかが気になるタイプでした。実はいまでもそうです。
昔、いじめにあった経験があって、嫌われたくないということがコンプレックスになっています。これを平気で言えるようになったのは、起業家は自分の価値観を世に問う存在だと考えるようになってからです。いろんな方にSpace BDを通して応援してもらいながら歩みを続けるなかで、幼少期からの苦手意識やコンプレックスを少しづつ克服...
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