2019/10/07
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私が経営者になった日
第26回
【野水重明氏】挫折と克服の連続で、経営者のベースをつくる(1/5)
- キャリア
- 経営
- 経営者インタビュー
- 野水 重明氏 ツインバード工業株式会社 代表取締役社長
●生産管理を経験し、大学院で博士号を取得。
生産管理は製造・開発・営業をつなぐ部分で、工場にとってはある種非常にポイントになる。「会社、特にものづくりの部門を理解するには非常に良い部門なのです。当時社長であった父も、そう思って生産管理に配属したのだと思います。現専務の佐藤が生産管理部長で、ものづくりのプロセスをよく教えてもらいました。そのうちに、いずれメーカーの社長をやるのであればもう少し勉強が必要だ、特にテクノロジーとか技術の勉強をしたほうが良いという地域の先輩経営者の皆さんの声に押され、大学院に進学しました。」
学内でも厳しい教授の指導の元、平均で3割しか取れないという博士号を取得した。
「技術面からの課題解決の方法と言うのでしょうか、そういうものを身につけるということと、あとはやはり忍耐力はつきました。」
●香港でグローバル化に対応した商売を学ぶ。
博士号取得後、「今度は実学を学べ」と再び周囲からアドバイスを受け、香港に駐在する。生産系の先輩が一人駐在していて、野水氏は海外のセールスのマネージャーとして赴任。海外は日本と電圧も安全の法令も違うので、現地に合わせたものづくりをしなければならないし、英語で商談をしなければならない。買い付け会社が集中している香港では、グローバルスケールの企業の社長にもすぐ会えたが、博士号であれだけ論文を書いたはずの英語がほとんど通じない。「最初の1年間は、結局売り上げがゼロで、父である社長から“お前何やっているんだ”と言われる夢をよく見ました。」
結局、初注文は同郷のよしみで、香港の新潟県人会会長からのものだったが嬉しかった。その後海外の展示会に出展し、紹介で海外出張したりするようにもなり、4年目には、4億円ほどの売り上げを上げることができた。
「これまでの経験で、自分なりにはやれることは全部やったかなと思います。経営は数字で財務がわからないとできません。製造会社ですから技術もわからなきゃ駄目。それからグローバル化への対応力も。銀行、大学院、海外勤務と挫折と克服の繰り返しでしたけれど、先代の社長である父には感謝しています。それが今の私の礎というか、ベースには間違いなくなっていますから。」
(構成・文/阪本淳子)