TOP 私が経営者になった日 【村上農園 社長】 自分で考えろ自分で考えろ。(1/5)

2019/07/22

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私が経営者になった日

第21回

【村上農園 社長】 自分で考えろ自分で考えろ。(1/5)

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  • 経営者インタビュー
 

 

社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

【vol.1】 自分で考えろ自分で考えろ。

【vol.2】33歳、ゼロからの出発だった。

【vol.3】危機にこそチャンスがあると考える。

【vol.4】自分がやるべきことに集中する。

【vol.5】方向性を定めるのが経営者の役目

 

●考えてもいなかったリクルートに就職。

「発芽野菜」の国内市場で圧倒的なシェアを獲得し、さらに「マイクロハーブ(ハーブ野菜の幼葉)」という新しいジャンルを、海外企業との提携で新たな市場を作り出す村上農園を率いる村上氏。農業ベンチャーの先駆者的存在としても注目を集めるが、その活躍には20代から30代初めまでを過ごしたリクルートでの経験が大きな影響を与えているという。

 

広島大学進学とともに、村上氏は山口の実家を出て、母方の親戚である村上農園の先代・村上秋人氏の家に下宿する。当時約15億円を売り上げていた村上農園は刺身のツマなどに使う「紅タデ」の栽培からスタート。1978年には新品目として、カイワレ大根の生産を開始していた。この農園でのアルバイトをしながら、大学4年間を先代の家で過ごした。当初は安定した都市銀行への就職を志望していた村上氏だが、思いもかけない縁から、全く考えてもいなかったリクルートに入社することになる。

 

「就職のためになるかもしれないとリクルートの社員たちに会ううちに、何が気に入られたのか、入社も希望していないのに、気づくと最終面接のような場が設定されていたんです。

 

今後、企業では人材の問題はますます重視されるだろうし、採用の仕事は可能性がある。給与も良いし、東京にも行ってみたい。特別何かがしたいとか、野望があったわけでもありません。ただ面白い経験ができて面白い人生が開けるのかなという程度で入社を決めてしまいました。」

 

しかし、当時のリクルートは知名度も低く、先代には「村上農園で働けば良いのに、何でわざわざそんなところに行くのか」と言われたという。

プロフィール

  • 村上 清貴氏

    村上 清貴氏

    株式会社村上農園 代表取締役社長

    1960年、山口県生まれ(旧姓:田村)。広島大学総合科学部卒業後、83年にリクルートに入社。入社2年後には、求人誌事業の宇都宮営業所のリーダーとしてその地区の実質責任者を任される。その後、リクルート内でNTT回線リセール法人営業担当後、88年にリクルート映像に異動し、営業課長、マーケティング企画課長などを経験。創業者である叔父に請われ、93年、当時カイワレ大根専業大手であった村上農園に入社。97年、O-157騒動による大幅な売上減により倒産の危機に見舞われるが、以来10年間、農場内に住み込み、再建を主導。この間、「豆苗」、「スプラウトシリーズ」を商品開発し、日本の市場に新野菜として定着させる。01年には国内初の本格的な機能性野菜「ブロッコリースーパースプラウト」を開発し、注目を集める。07年より現職。 好きな言葉:「勝者には偶然があり、敗者には必然がある」「ピンチはチャンス」

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