2019/01/17
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異能の経営者 ~ I know. ~
第11回
【J PREP 斉藤氏】“問い”のない学校の授業に、違和感を覚えた。(Vol.1)
- キャリア
- 経営
- 経営者インタビュー
- 斉藤 淳氏 株式会社J Institute代表取締役CEO
――あんまり熱心に勉強する学生がいなかった、と。
ええ、だから一生懸命に受験勉強をしたところで、大学でまともに教育を受けられるような国の状態ではではないだろうなと思っていました。どうせ教育を受けるなら最先端の教育を受けたいなあと思うようになり、それでアメリカへ行こうと考えました。なので、そのための準備として、日本の大学の外国語学部に行くのは悪くないのかなと。
――それで上智大学の外国語学部に入られた、と。
はい。それで学部生の頃に一度、カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学しています。その後イェール大学大学院の政治学研究科に進みました。指導教官がフランシス・ローゼンブルース先生なんですけれども、彼女がイェールで教鞭をとっていたからです。
■アメリカの大学で身についた、考える習慣
――アメリカの大学というのは、やはり全然違うものですか?ええ、「あなたの研究は、長い人類の歴史の中で、どんな意味を持つんですか?」という問いかけに、絶えず直面するわけなんです。大きなフレームワークの中でものごとを考えるという、そんな習慣が身についたと思います。
――アメリカの大学に留学する頃には英語はだいぶ話せるようになっていたんですか?
いえいえ、高校生までは訛りの強い庄内弁を話していましたし、大学入学のタイミングで上京して初めて「日本語の標準語」が話せるようになったと思っています。山形にいた頃なんて、英語を話す人などまわりに一人もいませんでしたからね。
――今ではもう英語力は完璧なんでしょうか。
留学の期間も併せると、およそ14年をアメリカで過ごしましたが、今でも自分の英語力には不満があります。英語力には終わりはないですし、同じことは母語である日本語にも当てはまります。普通に大学院で勉強する分には、不足はなかったと思いますけれども。ただ、それでも苦労はしましたよ、それなりに。
――大学を卒業して、すぐに留学したんですか?
いえ、2週間だけ就職活動をし、結果的に国内の大学院に進学しました。当時、日本のテレビ局や新聞社を3社ぐらい受けて、テレビ局の2次面接にも進みました。でも、「俺、絶対ここじゃ出世しないな」「これ無理だわ」と思いました。 ――なぜ、そう思われたんですか?
カルチャーが完全に体育会系のそれだと思いました。当時の放送局や新聞社って。
――合わないと。
ええ、「合わないな」と。「ミスマッチだな」と。絶対これは周りと衝突して、出世できないなと思いました。新聞社や放送局だけでなく、その他の日本企業にも、自分の活躍できる場所はないな、と。田舎から出てきて、誰か後ろ盾になってくれる人がいるわけでもない。なんというか、嗅覚ですね。本能的にそう悟って、逃げるように大学院に進学しました。
――逃げるように大学院に進学(笑)
当時の大学院っていうのは、語弊があるかもしれませんが、就職活動に失敗した人たちが集まるようなところと思っている人も大勢いました。超マイナーな選択肢。でも、もし就職したとしても3年ぐらいで辞めて留学をするつもりでいたので、「まあ留学するんだからいいや」と。
――ご両親にはなんと言ったんですか?
親には「就職試験、全部すべったから」って嘘ついて、「仕送りは送らなくていいから、授業料も生活費も自分で工面するから大学院に行かせてくれ」と(笑) それで進学して、留学するまでの時間を稼いだっていう感じです。なので、振り返ってみると全く上手くいかない、うだつの上がらない20代だったと思います。でもそれで良かったんです。
【第1回 異能ポイント】 | |
◎知的な刺激を求め、問いを続ける。 自分に合わないことは避ける。 |