2019/01/17
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異能の経営者 ~ I know. ~
第11回
【J PREP 斉藤氏】“問い”のない学校の授業に、違和感を覚えた。(Vol.1)
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- 経営者インタビュー
- 斉藤 淳氏 株式会社J Institute代表取締役CEO
――具体的にはどういった出来事ですか?
例えば、文化大革命とか、その前の大躍進政策の失敗だとか。それらは学校の授業で正面きって取り上げてくれた記憶がありません。
――普通の学生だと、「あんまり正面きって取り上げてくれない」とか思わないですよね。
まあ、そもそも授業自体が問いかけるかたちのものじゃないわけです。「みんな、これ大切だから覚えなさい」っていう一方的なスタイルじゃないですか。
――確かに、受験用の勉強という感じですね。
だから高校の授業なんて本当につまらなかったです。別にみんなで一緒にやらなくてもいいことを一斉にやらされて。逆にみんなでないとできない議論とか、質問とかは機会が与えられない。いずれにせよ、知りたいことについて自分で調べたり文献を読んだりするのが好きだったのですが、たまたま自分が関心を持ったのが政治とか経済でした。
――政治と経済に関心を持った、と。
経済学を学ぶなかで、「学者先生がいうことが、なぜ実行されないのか」という問題を考えてみました。それで、政治的なメカニズムの研究をしなきゃならないのでは、と思ったわけです。そうして政治学に行き着いたんですけど、同時並行で経済学もそれなりに勉強しましたね。 ――政治や経済を学んでいて、将来やりたい仕事などはあったのでしょうか?
僕はずっと、「ジャーナリストになって、世界中を取材して歩く」という夢を持っていました。中学生の頃だと思いますが、当時、テレビで『兼高かおる世界の旅』という番組があって、それを見て憧れて。地理の先生に「将来の夢は?」って聞かれた時に「兼高かおる」と答えたことがあって、「兼高かおるなんていう職業はない」と言われたりしました(笑)
――兼高かおるさんって、女性のジャーナリストですよね。
そうです。あとこれも中学生の時ですが、毎日新聞社が主催する学校新聞のコンクールで、全国1位と2位をとったんです。まず文部大臣賞、翌年は総理大臣賞。だから自分では、才能があるんじゃないかと勘違いしていたんですよね。それで「ジャーナリストなるんだ」と勝手に思っていたんです。
――書くことがお好きだったんですね。
ええ、文章を書くのがもともと好きだったんでしょうね。漢字テストのために漢字を覚えるというよりも、文章を書きながら覚える、そんな子どもでした。だからジャーナリストを目指して勉強していた部分はあるんですが、でも学校教育というものには正直期待していなくて。ちょうどバブルの時代で、学生もみんな「とりあえず有名大学に受かればどこかに就職できるだろう」というような感覚でした。