2017/10/16
1/1ページ
スペシャルコラムドラッカー再論
第94回
人こそ最大の資産。(後編)
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
の3つを挙げていることを前回ご紹介した。
その1、MBO(マネジメント・バイ・オブジェクティブ)について。
仕事を生産的なものとするために、目標を設定することが(当然)必要である。しかし、そもそもきちんと目標を設定されていること自体、実際にはあまり多くないのが現実だ。
「しかも、その目標はその仕事を行う者自身が、上司とともに設定するものでなければならない。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
どうだろう、御社ではこの当事者および上司による共同での期初目標設定は、実行されているだろうか?
これは従業員に対して、責任に基づく要求、規律、動機づけを課すものとして必須のものだ。
その2、働くものを資源として見ること、について。
ドラッカーはここで、部下自身を資源として見ること、更にはその部下が成果を上げるための資源として自らをみることが、マネジメントの責務であると述べる。
「そのための一つの方法が、「私や会社は、あなたの仕事の助けとなるものとして、何を行っているか」「私や会社は、あなたの仕事の邪魔になるものとして、何を行っているか」「私が上司として会社のための最善を尽くせるようになるために、あなたには何ができるか」という簡単な問いを問うことである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
実際にこう聞いてみると、マネジメントが、部下が仕事をしやすいようにとの配慮で行っていたことのすべてが、何の役にも立たず、かえって邪魔になっていたことが、ほとんどのケースで明らかになっているとドラッカーは言う。非常に耳の痛い話だ。
その一方で、上司が仕事をしやすいようにするには、自分たちは何をすべきかについて考えている部下もほとんどいなかったとも言う。お互いさまか。
この上司、部下、それぞれが、お互いを資源として見、また自らを相手を活かすための資源として見る見方、取り組み方が企業カルチャーとなっていれば、自ずと生産性は飛躍的に高まるだろう。
その3、適所適材。
一見、いわずもがなだが、ドラッカーはここで非常に実際的、現実的なことに触れている。
それは、知識労働者というものは実際に職務に当たる中で適職性を確認発揮し、またそもそも職務の中で育成されていくものであるということだ。
簡単にのべれば、「人は(知識労働者は)、実際に仕事をやらせてみなければ、パフォーマンスを出せるのか否かは分からない」ということ。特に新卒採用においては。
「(新卒採用活動は)会社に関心を持ってもらうということについては、意味はある。しかし人を選ぶという点については、彼ら採用担当者の成績は無残である。(中略)新人の採用にあたっては無作為に選んだほうがよいくらいである。採用担当者が無能というわけではない。単に今日の段階では、能力の見分け方がわからず、実地に仕事をやらせてみなければわからないからにすぎない。(中略)しかし採用後の配置にしても、現状はほどんど運任せである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
人は様々な強みと弱みを持つ。同じ強みと弱みを持つ人ばかりではない。様々な強みの組み合わせ、資源の最適活用を図ることこそ、マネジメントの仕事だ。
配置とは、ほかならぬ最も高価な資源たる人材の最適活用を図ることである。
「仕事のできない者が駄目というわけではない。間違った場所に置かれているだけである。昔風に言えば、所を得ていないだけのことである。どこか別の場所向きというにすぎない。したがって、仕事のできない者が生産的となり成果をもたらす所がどこかを考え、「君は間違った所にいる。君の場所はあそこだ」といってやることが、マネジメントの仕事である。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
いい加減な採用、配置が肯定されるべきでは、当然、ない。が、知識労働者の適所性というものは、そもそもやらせてみなければ分からないということ、変化の激しい今、常に流動的に変化していくということを踏まえた、人材の配置異動のダイナミズムと雇用の流動性を担保することこそ、正しい「雇用改革」だろう。