2017/09/25
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スペシャルコラムドラッカー再論
第91回
職場コミュニティと現場の権限・責任。
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
ドラッカーは、この3つの条件に加えて、もう一つ必要なものがあると言う。
それは、権限を明確にしておくことだ。
「働く者としては、自分にはどこまで任せられているかを知らなければならない。働く者一人ひとりのなすべき仕事が何であり、それらの目標が何であり、仕事の基準がいかなるものであるかを決定するのは、マネジメントである。必要な情報を提供するのは、仕事を行う者自身である。しかし、決定するのはマネジメントである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
ややまどろっこしい言い方をドラッカーはしているが、現場の誰が何をどこかで決めてよいかを、マネジメントは明らかにしておき、その範囲で現場に任せなければならないということを言っている。
マネジメントは助言や、現場の意見に対する拒否権を持つ。「しかしそれでもなお、自らの職務の設計と作業者集団の設計に関する責任は、あくまでも成果と業績に直接責任を負うべき者自身に属する。それが、働く者とその作業者集団である」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)。
さらにドラッカーは、「工場や事務所は単なる場所ではない。コミュニティである。(中略)工場や事務所には職場コミュニティがある」と強調する。
よって、従業員に成果をあげさせるには、彼らに職場コミュニティについての実質的な責任を持たせる必要がある、と。
多くの企業が、職場コミュニティにかかわる問題~休暇の調整、従業員食堂、レクリエーション活動などをドラッカーは挙げている~についてをマネジメントが処理し、金をかけ、能率を悪くし、摩擦と不満の種を作り出している。
これらは、多くがマネジメントにとっては重要でなく、大事に扱うに値するとは思っていないものの、職場コミュニティとそのメンバーにとっては重要であり、運営がうまくいかないと士気が低下する類のものなのだ。
「しかもその運営が上からのものであるかぎり、いかにうまくいっても士気は向上しない。それらの活動に関わる責任は、職場コミュニティに任せるべきである。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
さすが、ドラッカー!まさにその通りだ、人間心理を突いた言質だ。
これらを現場(職場コミュニティ)に任せることには、リーダーシップを発揮し、責任を持ち、認められ、学んでいく良い機会となるというメリットがある。
「職場コミュニティの問題について意思決定を行うとき、彼らもまた、マネジメントとは何であり、マネジメント上の責任とは何であるかを学ばざるをえなくなる。選択が必要であり、優先順位が必要であり、手にれられるものは投入した資源次第であることを学ぶ。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
こうした機会が現場に提供されないと、そのエネルギーや能力(、野心)は、マネジメントや職場コミュニティに対する否定的、破壊的、煽動的な対立行動として発揮される。それを主導するのは、職場コミュニティでリーダーシップを発揮しうる人材だ。有能な人材が、ひとつ間違えれば、マネジメントを最も悩ませる存在となる。
だからこそ、我々は、全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任を持つ組織を目指さねばならないのだ。
「ここにいうマネジメントとしての責任とは、自らと自らの作業集団の仕事への責任、組織全体の成果への責任、職場コミュニティへの責任を指す。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)」
これこそ、社員皆経営者主義の実現、である。