2017/08/07
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スペシャルコラムドラッカー再論
第85回
「アメとムチ」に代わるもの。
- エグゼクティブ
- マネジメント
- 井上 和幸 株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO
・X理論=人は怠惰で仕事を嫌うものであり、仕事を強制しなければならない。アメとムチの両方を必要とし、ほとんどの人は自らの責任を負うことができない存在である
・Y理論=人は働く欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲する
ドラッカーはX理論よりもY理論を支持しているように見受けられた。果たしてそうだろうか?
「そもそもX理論とY理論の比較には意味がない。マネジメントが考えるべきは、X理論とY理論のいずれが人間の本性かではない。今日の状況において、いかに働く人と働くことをマネジメントするかである」(『マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
まずドラッカーは、X理論によるマネジメント~報酬というアメと恐怖というムチによるマネジメントはもはや無効であると言い切る。
旧来社会のような飢えと恐怖による管理は先進社会ではその有効性を失っている(人は圧政に屈し続ける必要はもはやなく、酷い環境からは逃げる自由を獲得している。またいまや人は1社で失業しても即飢えることは避けられる)。
一方で、物質的な報酬というアメについては、力を失っていないばかりか、その力を増している。逆に、あまりに力が強くなってしまったために、マネジメントのツールとしては事実上使えなくなってしまっているのだ。「いまや人を動機づけするために必要な物質的な報酬は膨大である。豊かになれば多少の報酬増では満足できない。更に多くを期待する」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)。もっと、もっと(くれ)、なのだ。
では、Y理論か?
「産業心理学は、そのほとんどがY理論への忠誠を称する。自己実現、創造性、人格をいう。だが、その中身の実体は心理操作による支配である。その前提たるや、X理論そのものである」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
ドラッカーは、多く言われているものが「動機づけによる心理支配」であり、それはY理論ではなく「X理論を捨てたふりをしたX理論」による心理学的専制であると喝破する。
働く人を心理的に依存させ、マネジメントはカリスマ、あるいは「心理学者」として振る舞うことを要請している。
そんなことはできるのだろうか、また、それは上司と部下の関係と言えるものなのだろうか?そうドラッカーは疑問を我々に投げかける。
では、何が有効か。
「それはマクレガーのY理論そのものではない。しかし、マネジメントはY理論に従い、働く人の中には成果をあげることを心底欲する人たちがかなりいるものと前提すべきである。さもなければ希望は持てない。幸い、この前提の正しさを示す例には事欠かないあ。(中略)しかしY理論がいうように、人は機会さえ与えられれば、それだけで成果を上げるべく働くなどと仮定することはできない。(中略)もはやアメとムチに頼ることはできない。したがって、X理論における命令と保護による安定に代わるべきものを与えなければならない」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
そのような組織とはいったいどのようなものか?それはいかに機能するか?
ドラッカーは、Y理論とは関係なしに、そのような組織はすでに現実に存在し、研究することができると、『マネジメント』執筆時点で語っていた。
ここで日本人である我々は、ドラッカーから、あることを再起させられることとなる。
次回、見てみたい。