2023/09/19
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私が経営者になった日
第121回
【株式会社アシスト 大塚 辰男氏】一から始めたことだから、何も怖くはなかった。意味のない進学はやめて自活の道へ。(Vol.1)
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- 経営者インタビュー
- 大塚 辰男氏 株式会社アシスト 代表取締役社長
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
1972年の設立以来、パッケージソフトウェア市場の先駆者として、50年にわたり「IT×商社×コンサル」という独自のポジションを築き、取引社数は延べ2万社以上となる株式会社アシスト。代表取締役社長の大塚辰男氏に3回にわたってお話を伺いました。
一から始めたことだから、何も怖くはなかった。
意味のない進学はやめて自活の道へ。(Vol.1)
正確で遅い判断よりも、迅速で修正する勇気を持った判断会社の基盤となる
『哲学と信念』。(Vol.2)
『哲学と信念』の理想にどうやって近づくか。
アシストの価値は何かを追求する(Vol.3)
新潟県で生まれて高校卒業までの18年間は、冬は白黒の世界だが夏秋は、空が高く、澄み切った青色、そのような環境の中で楽しく充実した生活だった。
「大学受験のために上京したのですが、希望した学部がなかなか難しいところで、1年間しっかり寝る間も惜しんで予備校等で勉強するも、現実はそんなに甘くなかったということですね。当時の自分にとって、その学部でなければ大学で勉強する意味がないと思っていましたので、未練なく大学進学をやめました。
やめたことに対し、当時も人生の挫折とは全く思ってなかったのですが、最近ではひょっとしたら、わたしの人生最高の決断の内の一つだったと考えるようになりました。」
その後、東京で自活するために、喫茶店などの飲食店で働き、最終的には、ホテルやビアガーデンでのプロのウエーターとなった。
「当時、他でのアルバイトが時給400円ぐらいでしたが、1,200~1,300円と破格でした。普通のサラリーマンの方より、多く給料を頂いていましたから、暫くこれでいいかなと思っていました。」
24歳、コンピューター業界に足を踏み入れる。
しかし24歳の時に、将来を心配する母の気持ちも汲み、菱友計算に就職する。
「友だちがみんな大学を卒業して、ちゃんと就職しているのにもかかわらず、東京で何をやっているのかと思ったのでしょう。“もうそろそろ、ちゃんと就職しなさい。その自堕落な生活をやめなさい”と普段、厳しいことを言わない母親からの叱責がありましたので、ちょっと考えてみようかな、と。そんな時に、たまたま呑みに行った高校時代の親友がコンピューター関係の仕事に就いているというので“仕事は楽しい?”と聞いたところ“すごく楽しい”って答えたんですよね。
大学でコンピューターとは全く関係のないロシア文学や哲学を勉強していた友人が面白いというぐらいです。余程、夢中になれるのかなと軽い気持ちで、コンピューター業界に興味が沸き、応募したところ菱友計算に採用され、2年半ぐらい在籍しました。
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