2022/02/07
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私が経営者になった日
第85回
【株式会社船橋屋 渡辺社長】 血ではないのれんの重みを知る跡継ぎとして。(Vol.1)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- 渡辺 雅司氏 株式会社船橋屋 代表取締役 八代目当主
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
東京・亀戸天神の目の前に本店を構える創業217年の老舗和菓子店、船橋屋。小麦でんぷんを乳酸菌発酵させるくず餅の伝統製法にこだわりつつ、新たな事業分野へも果敢に挑戦する株式会社船橋屋 代表取締役八代目当主 渡辺雅司氏に3回にわたってお話をうかがいました。
「血よりのれんは重い」と言う意味。
江戸時代から続く老舗船橋屋の当主渡辺氏。著書に書かれていた「血よりのれんは重い」という言葉は船橋屋に代々伝わる言葉だ。
「僕が八代目ですけれど、船橋屋は、実は多くの養子の当主がつないできたお店なんです。四代目、六代目、七代目が養子。五代目は早逝して、おかみさんが代わりにずっと店を守ってきました。だから八代目の僕が、明治維新後の初めての家付きで、百何十年ぶりの嫡男ということです。先代までの当主は養子ですから遠慮があったのかもしれないですが、『血よりのれんのほうが重い』だなんて言わないでしょう。とはいえ、実際そうやって代々のれんをつないできました。」
これまでも家に継承者がいなかったわけではない。例えば祖父である六代目に長男がいたが、継がせることが出来ないと判断し、渡辺氏の父を養子に迎えたという。
「それは、何としてでものれんを守り継がなきゃいけないからです。もしかしたら養子だからこそ、そんなことができたのかもしれないですね。たまたま出入りしていた証券会社の優秀なセールスマンだった父に、うちへ来ないかと。養子同士で遠慮があったのか、祖父と父の間で、あまりこうしろああしろというのはなかったそうですが、一言だけ父が頼まれたことがある。それは僕が産まれた時に、この子は次を任せられるように育ててもらえないだろうかと言うこと。
だから、銀行を辞めて船橋屋に入ることを決めた2か月後、お披露目も兼ねた僕の結婚式が終わった夜に祖父と父は涙しながら乾杯したと言っていましたね。その2ヶ月後に祖父はこの世を去りました。」
継ぐつもりはなかった。
当初、祖父や父の思いを知らなかった渡辺氏は、
「僕なんかには継ぐ資格なんかないと思っていました。千葉の自然豊かな山の中で、田んぼの中に小学校があったような所で育っているものですから、勉強はしないわ、ガキ大将で暴れ回る問題児で、どうしようもなかったんです。父も頭を痛めていたと思います。
ところが中学の時に一家で千代田区に移ることになり、区立麹町中学校に転校しました。最初の定...
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