TOP 異能の経営者 ~ I know. ~ 【横山裕一氏】ゲームで人生が変わった。僕は間違いなくそんな人間の一人(Vol.1)

2020/03/13

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異能の経営者 ~ I know. ~

第26回

【横山裕一氏】ゲームで人生が変わった。僕は間違いなくそんな人間の一人(Vol.1)

  • キャリア
  • 経営
  • 経営者インタビュー
  • 横山 裕一氏 株式会社アールフォース・エンターテインメント 代表取締役社長/ゲーム職人
 

――その年齢でその構造を作り出すのはすごいですね。ビジネスの原点という気がします。得意なことがまずあって、こうすればみんなが喜ぶというのがあって。

 

そうですね。キャップという対価を得ることが最初の目的でしたが、やはり喜んでもらえたのが純粋に嬉しかったです。ですから、ゲームセンターが営業停止になった後も、マスにおもしろいことや学校の時事ネタを書いたスゴロクを作って遊ばせたりして、引き続きキャップを手に入れる方法を模索していました。

が、一番儲かったのは、タクシーですね。

 

 

――タクシーですか?

 

今から考えたら本当にアホなんですけど、友達をおんぶして「1班から2班のところまで行くのにキャップ1枚」とか、「2組まで行くのにキャップ5枚」とかいうビジネスをやり出したんです。友だちにおんぶされるのって気分がいいじゃないですか。すると、結構流行りましてね、おんぶタクシーの運転手が増えたので、今度はおんぶタクシー株式会社という、まぁごっこですが、会社を作ってフランチャイズ化しました。

 

 

――フランチャイズ!

 

おんぶタクシーの名前と仕組みを使わせる代わりに、1日の儲けの何割かを貰っていました。そうしたら、一時期クラス中が誰かをおんぶしているという異様な光景が展開されてしまい、ブームが終わるのも早かった。「冷静になると、なぜみんなでおんぶしているんだろうね?」って。

その後に始めたのが、漫画を描いて、キャップを貰って読ませるという商売です。

 

 

――実は私も書くことが好きで、中学の時に「おまえの文章おもしろいから」と、連載小説を書かされてクラスの友だちが回し読みをするということがあったんです。でも、そこで対価をもらうという発想にはならなかった…。

 

幼稚園からアルバイトをしていましたからね。親のバイトですけれど。肩もみ30分10円で、ひどい労働基準法違反ですが(笑)。父親の機嫌がいいと、ときどき20円くれたりして。こういう、お金を稼ぐ経験が小さい頃からあったのは案外大きかったと思います。自分の頑張りと営業で幾らでも稼げると。

その代わりお小遣いはありませんでしたが。

 

 

――それで、漫画雑誌はどうなったんですか?

 

漫画も書き手が増えてきたので、僕は編集部になって漫画を集めて雑誌にして、書いてくれた人に原稿料を払っていました。

 

 

――ちゃんと払っていただけるんですね。

 

キャップですけどね(笑)

■満たしたい「ゲームで遊ぶ」という飽くなき欲求

――世代的に考えても、横山さんにとってファミコンのインパクトは大きかったと思うのですが、伺ったようなご家庭の環境で、リアルタイムでプレイすることはできたんですか?

 

ファミコンは、小学校高学年から中学校時代が大全盛期でした。しかし、おっしゃる通りで、遊びたくてもウチでは相変わらずゲームはダメ!

ファミコンのファの字を出すだけで親父の機嫌が悪くなるぐらいでした。

そこで考えたのが、ゲームのリスト化です。

 

 

プロフィール

  • 横山 裕一氏

    横山 裕一氏

    株式会社アールフォース・エンターテインメント 代表取締役社長/ゲーム職人

    1972年 大阪府生まれ。
    京都コンピューター学院に特待入学、その後除籍。
    24歳までフリーターとして、コックや大工、ビラ配りなど様々な職業を経験する。
    専門学校からフリーター時代に、友人らとインディーズゲームを制作、海外で5万本以上のスマッシュヒットを記録した。
    1998年からゲーム専門学校にて講師を勤め、そこで知り合った木村信行(現専務取締役)と翌年、有限会社アールフォース・エンターテインメントを設立。
    ハドソン、セガ、スクウェア・エニックス、バンダイナムコ、コナミ等の大手ゲーム会社と直接取引し、家庭用ゲーム機や携帯電話機向けゲームを現在までに333本以上リリースしている。
    2011年にリリースしたiOS向け自社オリジナルタイトル「Coinfalls忍」は全世界64ヶ国以上でゲームのジャンルランキングでBest3以内に入った。
    スマートフォン向けでは、開発したゲームの約8割が各アプリマーケットでダウンロード数1位を獲得している。
    2019年9月にサイバーエージェントグループから独立し、現在もディレクター/プロデューサーとして新規ゲームの制作を行う傍ら、専門学校の講師を続け後進の育成にも力を入れている。

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