2018/12/03
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エグゼクティブ転職 経営者JP井上の視点
第5回
「NO.2」という選択と流儀。
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転職活動中の管理職・経営幹部の皆さんには、経営陣への参画を目指す方も多くいらっしゃいます。 では、経営陣の中のどの役割か?と言うと、社長に就任するのはさすがにハードルが高いなぁ。社長職を務めるには肩の荷が重すぎる。しかし、自分だって「NO.2」「参謀」なら務まると思う。あるいは自分はトップというより番頭タイプだと思う。そうおっしゃる方々に、私も日頃から多くお会いしています。
さて、では、そんなNO.2に必要なものは何でしょう?今回は、このテーマについて考えてみましょう。 ちなみに、今回着目するNO.2は「番頭」「参謀型」タイプです。トップの元で「事業を統括・執行する幹部」タイプについては、次回に紐解いてみたいと思います。
NO.2の必須要件は「正しく”忖度(そんたく)”できる」コミュニケーション力
正しく「忖度」できる力。 番頭・参謀型タイプのNO.2の要件はと聞かれて、私がいの一番に挙げたいのがこれです。忖度というと、2017年に多方面で様々な意味合いで話題にあがったため、どうも「気を利かせて、先回りで対応や手配をすること」のような意味で多くの人たちの頭にパッと浮かぶようになってしまったように思えます。下手をすると、会社のために改ざん・粉飾をする、というような意味にも…。
しかし、 忖度の正しい意味は、「相手の心情を推し量る、慮ること」です。決して”何かおかしなことを配慮して行う”ことではありません。優秀なNO.2は、現場、幹部、社長、それぞれに対して常時、的確な忖度をします。そのことにより、トップにも現場にも適切な配慮を行って会話をし、時に上の意を下に、またある時には下の状況や思いを上に伝える通訳者の役割を果たします。
コミュニケーションの潤滑剤の要となるのが、NO.2という役割ですね。これをしっかり果たせる方が、NO.2として下からも上からも信頼され、番頭・参謀としての存在感、輝きを放ちます。
憎まれない「直言力」と、No.2に徹する性分、自覚、覚悟。
優秀なNO.2は、ズバズバものを言います。しかし憎めないキャラ、これが重要です。ネアカ、陰口を叩かない、裏表がない。何よりも、心根としてはトップや他の社員たちに対して愛がある。トップに対して、言いにくいことを、相手が受け止めやすいかたちで、ストレートに言える力。直言力も必須要件です。ただし、社長、オーナーが素直に聴けるセットアップができることが大前提でもあります。
NO.2には、2つのタイプが存在します。
自分は黒子・参謀が性分であるので、今後もずっとNO.2でよい(がよい)のだという人と、自分は本来はトップの器だ、今NO.2でいるのは、いずれ現トップに代わって自分が上に立つときのためだという人。どちらのタイプもありですし、それぞれのタイプで古今東西ご活躍されたNO.2は多く存在します。
しかし、中長期的にお互い(NO.2であるご自身と、トップが)ハッピーな関係が続くのは、前者のタイプのみです。後者のタイプは、タッグを組んだ当初は機能することもあるのですが、早晩、お互いの我がぶつかり、表面化するか否かは置いておいても、経営チームとしては充分に機能しなくなります。上のメッセージが「ツー・ボイス」になってしまったり、経営陣同士が陰で「アイツは」などという話を(悪いことに幹部や現場に)したりするようになります。
こういうNO.2を自分の参謀に据えてしまった社長は、思うような経営はできません。パフォーマンスが低いまま任期を終えるか、在任中にパフォーマンスを落として失脚します。で、蹴落とした側のNO.2が「しめしめ」となるかと言いますと、これが、この手のNO.2は実体としては人望がありませんから、いざトップの椅子に座ったとして、あいにくと充分に機能することが少ないのです。
優れたNO.2となれるには、自分は生涯、参謀・黒子で良い、と本音で思っていること。明智光秀になれば、結局、自分も失脚しますので、ご注意を。
「No.2という選択」は、21世紀という”乱世”を賢く長く生きる道
戦国時代から江戸幕府開府まで、最も長く生き延びた「経営人材」は誰でしょう?それは、黒田官兵衛と伊達政宗です。この二人は、あの激動の時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三代に渡って各政権の経営陣を務め、天寿を全うした、当時では考えられない「幸せな社会人人生」を送りました。
一貫して軍師参謀として生き抜いた黒田官兵衛と、政権を握ることを常に狙いながらも結果としてNO.2の座に踏みとどまった伊達政宗とは、その位置づけは異なるとは思います。しかし彼らは、トップを取らなかったからこそ長く活躍できたという事実があります。その周囲には、明智光秀・石田三成を筆頭とする有名無名の幹部たちが、その野心から死屍累々たるさまで、当時の”トップエリートとしての社会人人生”を途中下車していきました。
そもそも、歴史上初の日本統一を成し遂げた豊臣秀吉、260年続く長期政権の基盤を築いた”天下人”徳川家康の二大巨頭こそが、上司である織田信長、豊臣秀吉の晩年までをNO.2として添い遂げたからこそ、その第一後継者としての座を射止め得たとも言えるでしょう。
徹底した実力主義型の起業家、織田信長に最も信頼された秀吉は、「本能寺の変」後、政権を引き継ぐ千載一遇のチャンスを得ました。更には、その晩節を汚した秀吉の後を、信長時代から長きに渡り最強のNO.2として生きた家康が、戦国時代を最終総括する政権を掴んだのです。
「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう」が「殺してしまえ」に勝ち、「鳴くまで待とう」が「鳴かせてみせよう」に最終的に勝ったわけです。
思えば、登りつめてしまったら、後は降りるしかないのがトップの宿命。それに比べて、長く、政権世代を超えて参謀を務めるチャンスのあるNO.2という生き方は、これからの「70歳定年制」時代を長く生き抜く賢い策だとも言えます。
人生100年・定年70歳超え時代を迎えるに当たり、長い社会人人生を最前線で、楽しく、長らく、賢く歩む術として、「21世紀型軍師」の道の選択も、なかなか悪くないと思います。
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