2020/07/13
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異能の経営者 ~ I know. ~
第31回
【弁護士ドットコム 元榮氏】自分にしか創れない事業構想が生まれたとき、血湧き肉躍った。(Vol.1)
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- 経営者インタビュー
- 元榮 太一郎氏 弁護士法人法律事務所オーセンス 代表弁護士/弁護士ドットコム株式会社 代表取締役会長
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いまや、日本の弁護士の実に45%が登録しているという、法律相談のメガポータルサイト『弁護士ドットコム』。今回からご登場いただく元榮太一郎(もとえ・たいちろう)氏は、自身も弁護士でありながら、近年は参議院議員という政治家の顔も持つ多彩な起業家だ。そのマルチな実力はどのように培われてきたのだろう?まずは、弁護士を志したきっかけから遡ってみよう――
■「困っている人の役に立てる弁護士ってすごいな!」
――そもそも法曹界を目指そうと思われたのはいつ頃だったのでしょう?高校2年の時、進路が文系と理系に分かれるタイミングで、漠然と司法試験を受けたいと思うようになりました。当時からサラリーマンとは違う人生を考えていたのですが、「では何をするのか?」と問われても、医者、弁護士、サッカー選手など数える程度しか選択肢を持っていませんでした。
そんな頃、たまたまテレビで目にした法廷ドラマありました。主人公の熱血弁護士の姿に感じ入るものがあり、弁護士に目標を定め、大学の法学部に入学しました。
――その漠然とした思いが確信に変わったのはいつですか?
大学時代、はじめて中古で自動車を買ったのですが、任意保険に入るかどうか躊躇していたときに物損事故を起こしてしまった。自分で示談交渉をしなければならなくなったのですが、法学部の学生とはいえ、若いし経験はないしで右も左もわからない。相手側の保険会社の担当者にやり込められ、かなり困った状況におかれてしまったのです。
そこで、母のすすめもあり弁護士に相談したのですが、その弁護士のアドバイスに従って受け答えをしたところ、たちまち良い形で解決できた。「困ったときに人の役に立てる弁護士はすごい」と感動を覚え、漠然と抱いていた思いが「絶対に弁護士になりたい!」という確信へと変わったのがこの経験です。
■目の当たりにしたネットベンチャーのダイナミズム
私が司法試験に合格したのは、大学を卒業してからです。合格率2%という、東大生であっても難しい闘いに、大学ではさして成績が良くなかった自分がチャレンジするというのは無謀でもあったのですが、私にはかつての成功経験がありました。サッカーばかりしていた高校時代、部活を引退した後の3ヵ月だけで「弁護士になりたい」と決意し、大学受験を乗り越えることができた。退路を断ってがむしゃらに頑張れば、結果をつかむことができる。その確信があったので、悲観的な気持ちになることもありませんでした。
それに、当時の僕には「自分の人生の選択肢はこれだ!」という熱いたぎりがありました。だからこそ、自分に負けることなく最後まで頑張れたのだと思います。
――「弁護士になる」という熱い思いがあった。たぎりを抱けるというのは、やはり相当な覚悟だったのですね。その頃はどのような弁護士になろうと思っていたのですか?
2%の狭き門に挑むわけですから、受験生はとにかく勉強に命を賭けている。そのため、まずは合格することがすべてで、「どのような弁護士になろうか」などと考える余裕は、少なくとも私は持てませんでした。
合格してからやっとです。「世界を股にかけて活躍できる国際弁護士、企業法務弁護士を目指そう」。そのような目標が生まれ、幸いにもアンダーソン・毛利(現:アンダーソン・毛利・友常法律事務所)に声をかけてもらい、入所することになりました。
――そんな元榮さんがあえて独立、起業を意識されるようになったのはなぜなのか、非常に興味深いです。
2003年の秋にとあるM&A案件に加わりました。当時、すでにインターネットという言葉は聞こえていましたが、インターネットビジネスを扱う会社を初めて目の当たりにし、「これがインターネットというものか。これからの社会にとって不可欠な存在になるに違いない。」――まずそう感じました。
そのM&Aを行った会社は、創業してまだ10年にもなっていなかった。そんな若い会社が、インターネット事業で瞬く間に株式上場し、ネット証券を買収している。「なんなんだ、このダイナミックな世界は」と、本当に驚きました。
この案件に関わって以来、“起業”が選択肢として浮かぶようになりました。「弁護士だけではない人生を歩みたい」「がむしゃらに人生を生き、攻めに出たい」といった思いが、たぎり始めたのです。
当時は事業計画書の作り方も知りませんでしたが、「同じ人間なのだから、自分にもきっとできるはず」。そんな風に考えていました。当時は27歳。若さ故の怖いもの知らずなところもあったのでしょう。
■血湧き肉躍った瞬間「これは間違いなく世の中に必要!」
――弁護士ドットコムの原型は、このとき既に元榮さんの中にはあったのですか?2004年当時、引越業者を比較するウェブサービスを見つけて関心を持っていました。「このサイトのように、弁護士をネット上で比較して相談できるようになれば、たくさんの困っている人が助かるに違いない」というアイデアが思い浮かんだのです。
――物損事故を起こしたときの、大学時代の経験にもつながりますね。
おっしゃるとおりです。当時、弁護士業界は「一見さんお断り」が普通で、一般の人にとっては敷居が高いイメージがありました。そのため、大学時代の私のように法律がらみの事故やトラブルなどに巻き込まれると、相談先がわからず泣き寝入りする人も後を絶たなかった。
冷静になって改めて調べてみると、今の弁護士ドットコムのようなサービスはまだ日本には存在していませんでした。つまり、事業化することができれば、世の中で自分が初めて提供するサービスにもなる。このことに気づいてから、さらなるスイッチが入りました。「血湧き肉躍る」とはまさにこのこと。「弁護士資格を取ろう!」と決意したとき以来の熱い思いが再び湧き上がってきました。
――また同じ熱さが来た!これはきっといけるだろう、と。
あとはもう、「インターネットで弁護士とユーザーがつながる場所は日本にはない。だから、これを作ったら間違いなく世の中が良くなるに違いない!」と、自分を信じてひたすらポジティブに進むのみでした。
【第1回 異能ポイント】 | |
◎自分の中に生まれる“たぎり”を信じて突き進む |
(構成・文/阿部志穂)