2023/04/13
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とことん観察マーケティング
第85回
プリンセス天功 東京魔術団団長、澤村正一さんの研修
- マーケティング
- 野林 徳行氏 有限会社オフィスフレンジー 代表
野林徳行です。「KEIEISHA TERRACE」にてマーケティングコラムの連載をさせていただいております。
多くの企業では、『カスタマーを知る』ことが大事と言いながら、足元の数字を優先してしまいがちです。足元はもちろん大事ですが、カスタマーを知ることで既存事業のPDCAは回りやすくなり、新規事業の立ち上がりは早くなります。または修正が小さくなります。
85回目のコラムです。今回は、あのイリュージョンマジックのプリンセス天功さんを支える魔術団団長、澤村正一さんの「人を喜ばせるスペシャリスト講座」に行ってまいりましたので、その報告をします。
プリンセス天功 東京魔術団団長の澤村正一さんとは
幼少から俳優としてTV・舞台に数多く出演。東京魔術団団長。
1979年2代目引田天功、プリンセス天功と出会いマジック界に転向。国内、世界各国にて活躍。
マジック界で最高峰の「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」アカデミー大賞を受賞。
現在も演出家としては舞台、TV、CMの特殊演出を手掛け、プリンセス天功の団長として、舞台に出演している。
大規模な脱出イリュージョンのパイオニアである引田天功
少し年齢が高めの方であれば、マジックの引田天功という初代のことを知っていると思います。
1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番として放送された従来のマジックからは考えられないほどの脱出イリュージョンである「死のジェットコースター大脱出」や「死の火煙塔大脱出」、「死の水道管大脱出」、「油地獄水面炎上大脱出」といったスケールの大きさで毎回高視聴率を記録していました。その人気から日本中に脱出ブームを巻き起こしました。
テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在でした。ただ、脱出の際の大掛かりなパフォーマンスで使用する大量の火薬の威力は凄まじく、練習中に瀕死となるアクシデントや、音と熱と煙に相当悩まされるなど諸刃の剣であったと自身の著書に記しています。心筋梗塞などの心臓疾患に苦しみ1979年大晦日に45歳で死去されています。
2代目引田天功となったプリンセス天功
1976年から初代引田天功に師事する。マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手「朝風まり」としてデビュー。歌手・女優をしていたが、心筋梗塞で倒れた先代の遺志を受け継ぎ、大がかりな脱出イリュージョンを展開するようになります。その後は国外活動の比重を置いて世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られようになりました。
欧州の王道イリュージョンを追求してきた先代と違い、プリンセス天功はいちからのショーの構築だったため、過去に縛られない新しいエンターテインメントを展開し始めます。他の弟子ではできないことを次々と創りあげていきます。そこに合流したのが澤村正一さんというわけです。...
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