TOP 私が経営者になった日 【たねやグループ 山本 昌仁氏】 導かれた道で自分の一番星を輝かせる。(Vol.1)

2022/12/06

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私が経営者になった日

第105回

【たねやグループ 山本 昌仁氏】 導かれた道で自分の一番星を輝かせる。(Vol.1)

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社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

 

創業150年の老舗菓子舗、たねやグループ。

「三方よし」の教えで知られる近江商人発祥の地で創業した同社は、その商いの精神を現代に生かし、時代をリードするお菓子づくりや事業を展開。自然との共存をテーマに新しいアプローチをした近江八幡の本社「ラ コリーナ近江八幡」には、国内外から多くの客が訪れている。2011年、四代目を継承したたねやグループ CEO 山本 昌仁氏に3回にわたってお話を伺ってみました。

導かれた道で自分の一番星を輝かせる。(Vol.1) 

リーダーとして、一個人として、どう生きるかを問う。(Vol.2)

『自然に学ぶ。』夢を現実にするのがリーダーの仕事。(Vol.3)

なんとなしに菓子屋に導かれていった。

「経営者と言っても、わたしの場合は、生まれもって代々のお菓子屋をやっていましたので、なんとなしにそういうふうに導いてもらったのが、大きなところだと思います。遊びたい放題遊びたいのが若い頃だと思うんですけど、好きなようにさしてくれた中での、親のすすめ方が一番大きなところでして。自分で中学校のときに、経営者になろうという決心をしたのも、普段から会社の中にも入らしてもらったり、もっと小さい頃はお菓子をつくったり、そういうふうに持っていかれてたんかなと。遊びなんですけど、お菓子に触れる・携わる・食べる、そういった全てのことを小さい頃からさしてもらっていましたね。」

 

いまは約2,000人の従業員がいるたねやグループだが、山本氏が子どものころは家族に少しスタッフがいるこぢんまりとしたもの。工場やお店を通らないと家に帰れないので、菓子屋以外の余計なことを考える隙がなかったことが、いま思えばスムーズに継ぐことができた一つの理由かもしれないという。

 

「そして現会長の父が、お菓子屋の楽しみとして、やればやるだけ自分の価格で商品の金額を決められたり、自分の舌で味を決めていけたり、全てが、自分というものを大事にしなあかんとずっと話してくれていました。だから結構楽しいもんやなと、うっすらですがそのときには思っていました。若い頃にそういうふうに、お菓子屋以外はないぞという教育があったからのいまなのかなとは思います。

 

そうかといって、お菓子屋になるからといってがんじがらめに何かされたかということは全くありませんで。ほんとに好きなことをさしてもらえて、絵を描いたりするのが好きでデザインしたりとかを中心にさしてもらえたので、それも良かったのかもしれません。」

 

人に負けない一番星を探すのがリーダー。

高校卒業後に専門的に美術の道への進路を考えたことがあったのも、将来の菓子づくりに活かせるからという理由だった...

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プロフィール

  • 山本 昌仁氏

    山本 昌仁氏

    たねやグループ CEO

    1969年8月  昭和44年 滋賀県近江八幡市に生まれる。10年間、和菓子作りの修行を重ねる 1990年3月  株式会社たねや入社 入社後も技術向上の為修行を重ねる 1994年5月  第22回全国菓子大博覧会にて、工芸菓子『のどか長閑なるかな』を出品。博覧会名誉総裁の低仁親王が審査をされる最高賞「名誉総裁工芸文化賞」を24歳最年少授与、以後、宮様のお墨付きを拝受した栄誉と喜び、そして誇りを何よりも大切にしながら、菓子舗経営と更なる技術の研鑽、および後進の育成に邁進する 2002年5月  株式会社クラブハリエ代表取締役社長。株式会社たねや専務取締役2011年3月。十代目当主 たねや四代目を承継株式会社たねや代表取締役社長。株式会社クラブハリエ取締役会長 2013年4月 たねやグループCEO

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