TOP 私が経営者になった日 【しゃぶ禅株式会社 菅野 雄介氏】 やりたいことも特になく、言われたことをこなしていく日々だった。(Vol.1)

2022/11/28

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私が経営者になった日

第103回

【しゃぶ禅株式会社 菅野 雄介氏】 やりたいことも特になく、言われたことをこなしていく日々だった。(Vol.1)

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社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

 

1983年(昭和58年)に 1号店「しゃぶ禅六本木店」をオープン以来、質の良い本格的なしゃぶしゃぶ食べ放題をメイン料理として、日本のお客様のみならず、外国からのお客様からも好評を得て全国に店舗を展開する、しゃぶ禅株式会社 代表取締役社長 菅野雄介氏に3回にわたってお話を伺ってみました。

やりたいことも特になく、言われたことをこなしていく日々だった。(Vol.1) 

25歳でオーナー、失敗をきっかけに経営者としての覚悟が決まった。(Vol.2)

マニュアルではない「おもてなし」力を磨き他と差別化を図る。(Vol.3)

夢中になるものもなく、父の仕事にも興味なし。

菅野氏が生まれたときには、もともと証券会社でサラリーマンとして勤務していた父は、その傍ら当時でいうパブを原宿に開き、さらに脱サラして本格的に飲食事業を始めていた。

 

「厳しい父親というのがずっと印象に残っています。特にあいさつとか、人との接し方とか、そういったことには結構うるさく教育されました。それがいまでも活きている部分もあるのかなとは思います。仕事もかなり忙しかったと思うのですけれど、家族サービスの面では、いま思ってもそれはそれでちゃんと接してくれていましたね。」

 

菅野氏が中学生ぐらいになると、父の事業は全盛期を迎えていた。しかし、菅野氏自身は高校生になっても、特に夢中になれるものもなく、当時の記憶はあまりない。

 

「本当に何をしていただろうかと思ったりもするんです。ちょっと親不孝でもあるんですけど、ろくに勉強もしていないで、と言っても別に何か悪いことしていたとかそういうことでもないんです。
歳の離れた兄と姉は、大学生になると父の店に遊びに行くこともありましたが、高校生だと関係ないですしね。同級生にもある程度、父の店のことは知れ渡っていて“おまえのところ、そういう商売しているんだって?”みたいな話題にはもちろんなりましたけど、わたし自身は全くそういうのに興味がなかったですし、興味の前に行ってみたいとも思わなかったですね。」

 

目的なく大学へ進学、父の店でのアルバイトも。

将来何をやりたいという夢も特になく、勉強もあまりしていなかった菅野氏だがとりあえず合格できた大学に進学した。

 

「大学には行かせてもらいましたが、それも結局4年で中退してしまったんですよ。同級生が卒業するタイミングで、留年が決まって。親と話し合った結果、そのまま通っていても仕方がないという結論でした。
その大学時代も相変わらず勉強はしなかったのですが、いろいろとアルバイトはしていました。父親の店の駐車場整理や皿洗いや、そういうこともやりましたし、運送業者の荷物の仕分けや、ガソリンスタンドでも働きました。」...

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プロフィール

  • 菅野 雄介氏

    菅野 雄介氏

    しゃぶ禅株式会社 代表取締役社長

    父が経営していたしゃぶ禅株式会社が運営する、しゃぶしゃぶ・すき焼き専門店 日本料理「しゃぶ禅」の フランチャイズオーナーとして四谷店をオープン。 以降、神楽坂店やオリジナルブランドとなる「牛禅」をオープンさせるなど、 しゃぶ禅ブランドの発展に貢献。その後、父よりしゃぶ禅株式会社の代表取締役社長を引き継ぎ、 代替わりの壁にぶつかりながらも、しゃぶ禅で特別な時間を過ごしていただくための"おもてなし"に 徹底してこだわり、従業員に裁量を持たせる店舗運営やおもてなしレポートの運用などの 独自の工夫により、売り上げアップに尽力。 今年、しゃぶ禅のこだわりである"胡麻だれ"をより多くの人に味わってもらえるよう、 新ブランド「ごまいち」をオープンさせた。

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