TOP 私が経営者になった日 【応用地質株式会社 成田賢氏】社長になって下した重い決断が、社員の心をひとつにした。(Vol.2)

2022/10/17

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私が経営者になった日

第101回

【応用地質株式会社 成田賢氏】社長になって下した重い決断が、社員の心をひとつにした。(Vol.2)

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社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

 

地質に関するビジネスを手がけ日本社会の発展に貢献してきた応用地質。現在は地球にかかわる総合コンサルタントとして、環境問題などにも積極的に取り組んでいます。一時は赤字に陥った同社の変革を主導し、新たなステージに引き上げた代表取締役社長 成田 賢氏に3回にわたってお話を伺いました。

北関東事業部長として苦悩する日々

1997年、成田氏は北関東事業部長に就任。初めて組織を率いることになった。

 

「当時は単身赴任で、アパートが会社から2、3キロのところにあり、歩いて通っていました。ところが、夜遅くなると晩御飯を食べるところが途中にないんです。そういうときは面倒だから晩御飯を食べずにいたら、体重が10キロ近く減って、『成田はガンじゃないか』という話が広まってしまいました(笑)。」

 

食生活の変化もあったが、仕事の苦悩も大きく影響したのだろう。初めての本格的なマネジメントの仕事。しかも、北関東のマーケットは縮小しており、その中でどう成果を出すか悩み抜いた。

 

「本社からの受注や売り上げに対するプレッシャーはかなりのものでした。特に当時は当社のビジネスは公共事業が中心だったため、受注すれば利益が確保できます。だから、受注に対する本社の要求は高かったですね。」

 

そういう状況の中で、何とか成果を出そうと成田氏は必死に戦った。同時に、「会社の仕事が今のままでは先細りになる。会社は変わっていかざるを得ない」とも感じていた。

 

その後、2004年には取締役、翌年には専務執行役員、2005年には新規事業企画室長、2007年には取締役副社長と経営者への道を歩んでいった。

 

「出世しようなんていう考えはまったくありませんでした。目の前の課題を一つひとつ解決するうちに、自然にそうした立場になっていきました。」

 

予想外だった社長就任だが若い社員の後押しで決断

2009年3月、成田氏は応用地質の代表取締社長に就任。それまでは必ず誰か上司がいる中で仕事をしてきたが、自分がトップに立つことになった。もちろん上に立つ人は誰もいない。

 

「まさか社長だなんて……。最初に言われたときには『嫌です。無理です』と答えました。会社の経営状況が悪くなっていることは理解していたので、これから先の経営を担うのは大変なことだと考えていましたから。次は誰が社長をやるのかな、と思っていたらそれが私だ...

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プロフィール

  • 成田 賢氏

    成田 賢氏

    応用地質株式会社 代表取締役社長

    1979年新潟大学大学院理学研究科地質鉱物学専攻終了後、応用地質株式会社へ入社。ダム、岩盤関係の事業に従事し、2004年取締役、2005年専務執行役員就任。2007年取締役副社長を経て、2009年代表取締役社長に就任。

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