2022/07/19
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私が経営者になった日
第97回
【伊那食品工業株式会社 塚越英弘氏】田舎から東京に。帰る気はなかったが、30歳で立ち止まった。(Vol.1)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- 伊那食品工業株式会社 代表取締役社長 塚越 英弘氏
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
「社員にとっていい会社であろう」という極めてシンプルな理念のもと、1958年の設立以降、連続増収増益を続伸。多くの経営者がその秘訣を学ぼうとする「年輪経営」を実践する寒天製品トップメーカー伊那食品工業株式会社 代表取締役社長 塚越英弘氏に3回にわたってお話を伺ってみました。
田舎から東京に。帰る気はなかったが、30歳で立ち止まった。 (Vol.1)
「いい会社」とは何か。経験と実感を通して、経営者となっていった。(Vol.2)
正しい考え方を持ちぶれないことで、社員を幸せにしたい。(Vol.3)
東京に行きたいというだけの理由で大学へ。
バイクが好きで、ちょっとやんちゃな中高時代を過ごしたという塚越氏。
「真面目ではなかったですね。中学時代は親が学校に呼ばれたり、高校時代は停学になりました。バイクが大好きで、いまでも大型に乗っていますが、高校時代は原チャリ。当時は3ない運動まっただ中で、バイクの免許を取りにいってすぐ見つかって、学校に取り上げられちゃいました。」
塚越氏が高校生になるころ、のちにカリスマ経営者として名を馳せる父、塚越寛氏は伊那食品工業の社長になった。
「そのころは、まだ50人いるかいないだった気がします。よくある田舎にある無名の会社でしかありませんでしたから、父が社長になったからと言って、あまり気にもなりませんでした。
それより、その当時の田舎にいる学生の多くはそうだったと思いますが、こんな田舎にはいたくないと思っていましたね。とにかく東京に行きたい。東京に行くには大学に行くしかないと。それだけの理由で大学へ行きました。」
獣医学部に進学したが、獣医に興味があったわけではなく、農業学を専攻した。
「入れた大学へ進学しただけですが、食品に関係ある学科ということで、無意識に父の会社のことがどこかにあったのかも知れません。」
勉強よりもバイクに夢中、田舎に帰る気はなかった。
「将来的には、いろいろな職種がある中でも、農業や食品に関わることは絶対なくならないだろうという考えはちょっとありました。と言っても、あまり真面目な学生ではありませんでした。大きな声で言えないのですが、勉強したいというより、大学生という肩書が欲しかったようなものでしたから。
学校に行かずに、アルバイトばかりしていました。バイク屋や電報の配達、バイク便もやりました。さらにモトクロスも始めて、お金がかかるので、さらにアルバイトざんまい。そのせいで最初の1年目から留年しまして、5年間大学生をやりました。」
就職はちょうどバブルのころ。父の会社は、時々メディアに取り上げられるようになっていた。
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