TOP 私が経営者になった日 【サイクラーズ株式会社 福田社長】28歳。準備も心構えも十分ないまま、4代目を引き継いだ。(Vol.1)

2021/12/20

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私が経営者になった日

第79回

【サイクラーズ株式会社 福田社長】28歳。準備も心構えも十分ないまま、4代目を引き継いだ。(Vol.1)

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社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

明治35年創業の資源リサイクル会社、東港金属株式会社を4代目社長として28歳の若さで継いで、飛躍的に発展。廃棄物の処理・管理にとどまらず、使用済み・廃棄された物を無駄なく循環させるサーキュラーエコノミーの実現に向けて、グループ会社を統括するサイクラーズ株式会社 代表取締役社長 福田隆氏に3回にわたってお話をおうかがいしました。

何となく家を継ぐのだろうと思っていた。

実家は明治35年創業の資源リサイクル会社だった。

 

「何となく、家は継ぐんじゃないのかなというのはありました。特に明確な目標だとか指針があったわけではなくて、みんな口には出さないけれども期待はされている。そんな中、自分も何となく継ぐものなんだろうなとは思っていました。
ただ、じゃあ何歳までに家に入りたいとか、何歳までに社長になりたいみたいなイメージもなくて、会社に戻る直前まで普通にサラリーマンをしていて“これも悪くないな”と思っていました。まあ、ふんわり生きていましたね、そのときは」

 

新卒では総合商社への就職を目指した。

 

「当時の価値観からすると、普通に大学を卒業して、大企業に入るのが素晴らしいことでした。父親も、総合商社のようにビジネスをつくったり、ある程度いろいろなことができるような所がいいんじゃないのかと。私も敷かれたレールの上でフワッと生きていましたし、かっこよく見えたというのもありました」

 

しかし、商社には縁がなく、大手ベアリングメーカーに入社する。

 

「当時トップクラスだった物づくりがあって、しかもそれがBtoBで、プロ相手に売るということがすごくしっくりきていたんです。あと、グローバルでもいろいろ展開をしていましたし、そういう意味で、イメージ的には世間からそんなに知られている会社ではなかったけれど、実は商社より自分には合っていたんだとは思います。

 

僕は中学から10年間ラグビーをやっており、そこで大きく人格形成されました。いろいろ学んだことはあります。特に大学に入ってからは、フィジカルや才能差でついていけなくなってくるので、受け身ではいけない。自分でいろいろなことに飛び込んでいかなくてはならないので、とにかく愚直に自分からやってみるということを結構やりました。その感覚で社会人になって、第一志望の商社には軒並み落ちたけれども、社会人として成功したいとすぐにスイッチが入りましたかね。」

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プロフィール

  • 福田 隆氏

    福田 隆氏

    サイクラーズ 株式会社 代表取締役

    1974年生まれ、東京都出身。96年、成城大学卒業後、ベアリング大手のミネベア〔株〕(現・ミネベアミツミ〔株〕)に入社。2001年、外資系コンピュータ企業であるEMCジャパン〔株〕(現・DELL-EMC〔株〕)に入社。02年2月、家業である資源リサイクル業の東港金属〔株〕に入社。入社半年後に、父親である前社長の急逝に伴い、同社の4代目社長に就任(現任)。03年6月期には10億円だった売上高を、3年後には43億円にまで引き上げる。現在の売上高は約73億円。18年、トライシクル〔株〕を設立、代表取締役CEOに就任。19年1月、世界初のBtoBサーキュラーエコノミー対応プラットフォームアプリ「ReSACO(リサコ)」を正式リリース。そして、2020年9月、23,000坪の土地に【ReSACOリサイクルセンター】が完成。これにより、回収した不用品を一拠点に集積させることで、大規模で高度なサーキュラーエコノミーが対応可能になった。2020年9月、グループの理念であるサーキュラーエコノミーを実現することを強く推進するために、東港金属グループから、ホールディング体制に移行し、サイクラーズ株式会社を設立。その傘下に各事業会社を置く体制で、現在ビジネスを展開中である。

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