2021/12/06
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私が経営者になった日
第76回
【ユニバーサル ミュージック 藤倉社長】アーティストに愛情があるからこそ、多くの人に「この素晴らしいものを伝えたい」と思える。(Vol.1)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO) 藤倉 尚氏
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
洋酒メーカーからポリドールへ転職。数々のレーベルでヒットを生み出し、AIや徳永英明のヒットをきっかけにユニバーサルシグマを軌道に乗せ、ナオト・インティライミやback number、クリス・ハート、米津玄師など多くの新人アーティストを送り出したのち、2014年に若干46歳でユニバーサルミュージックの代表取締役社長に就任。Billboard 2019年と、2021年の2度、 International Power Playersにも選出された藤倉尚氏に、3回にわたってお話をうかがいました。
野球少年に突然訪れた転機
世界各国に子会社となるレコード会社、ライセンシーを展開する世界最大の音楽企業ユニバーサル ミュージック グループ。その日本法人であるユニバーサル ミュージック合同会社は、日本に拠点を置く外資系レコード会社の中では最大手である。
日本におけるユニバーサル ミュージックの母体は1953年に創設された日本ポリドールにさかのぼる。その後、 国内・外資企業の吸収合併による事業拡大を経て、1999年にポリグラム株式会社からユニバーサル ミュージック株式会社となり、2009年に名称変更してユニバーサル ミュージック合同会社になった。
藤倉さんは、2014年に若干46歳で代表取締役社長に就任。それ以来、トップリーダーとして激変する音楽業界の中で同社の舵をとってきた。そんな藤倉さんだが、少年時代のある出来事が転機になって音楽にのめり込んだという。
「子供時代はひたすら野球に打ち込んでいて、リトルリーグでピッチャーとセカンドをやっていました。ところが、学校の健康診断で『心臓に雑音がある』と言われたんです。大学病院へ精密検査に行きましたが、医者からも『心臓に不具合があるかもしれないから、激しい運動はやらない方がいい』と言われました。それで野球チームを泣く泣く辞めることになって。自覚症状もなかったので本当に悔しかったんですが……。」
結局、のちになって心臓には何の問題もなかったことが判明するのだが、いったんスポーツをあきらめた藤倉少年は、次第に音楽に関心を持つようになる。
「以前から、楽しいこと、新しいこと、ワクワクするようなことをしたいと思っていました。うちの高校は私服で自由な校風でした。授業も大学のように自分で選択できたし、金髪にしても何も言...
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