TOP 日本全国注目社長! リモート時代だからこそ生きる地方色。スーパー半導体の技術を磨きに磨いて大分発「下町ロケット」企業を目指す

2021/11/29

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日本全国注目社長!

第8回

リモート時代だからこそ生きる地方色。スーパー半導体の技術を磨きに磨いて大分発「下町ロケット」企業を目指す

  • 日本全国注目社長!
  • 大分 デバイステクノロジー 株式会社 代表取締役 安部征吾氏

 

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その高い技術力を磨き続けながら約半世紀、大手を中心に多くの企業から信頼を寄せられている半導体製造会社があります。地元大分の理系学生からは、就職先としても人気が高い、その名も大分デバイステクノロジー
大手メーカーのエンジニア職から、30代の若さで父が営む会社を引き継ぐことになった代表取締役の安部征吾さんは、右も左もわからない中、トライ&エラーを繰り返しながら社内改革とメンバーの若返りに取り組んできました。
生まれ育ったふるさとや縁あって根付いた土地で活躍する経営者を紹介する「日本全国注目社長!」。今回は「『下町ロケット』の佃製作所が目指す会社の姿」と語る安部さんの人情味あふれる経営者ロードと大分発もの作り企業の未来像について伺いました。

 

(聞き手/井上 和幸)

社員全員で社名を決める会社でありたい

大分デバイステクノロジーは、もともとは私のおじが興した会社で、創業当初は“森重電子工業”といいました。経理経験のある私の父が「手伝ってくれ」とおじに頼まれ、実質的には森重家と安部家で作った会社だったのです。
おじが亡くなった後、父がその後を継ぎ、現在は私が社長を務めさせていただいています。

 

ただ、私は人の名前を会社に冠するのがどうもなじまないのです。すでに社長は森重ではありませんが、だからといって“安部電子工業”に変えるのかといえば、それはちょっとおこがましい。
そこで、私が社長になってからは、大分の野津原にあるIC工場という意味で“株式会社KONIC(コニック)”にいったん変更しました。

 

その後、現在の社名になったのは2004年のこと。
当時の親会社だった東芝から、「当社と同じくらいのポジションにある協力工場を受け入れてひとつにしてほしい」という要望があり、会社の規模が大きくなったときでした。ですが、地元を同じくして働く者同士が、吸収した・されたという関係のままでいるのはあまり気持ちが良いものではありません。そこで、「総勢160名となった我が社の社員全員で考え、新しい社名にしよう!」と、公募を取ることにしたのです。

 

「大分デバイステクノロジー(以下、ODT)」は、このときに一番人気だったことから採用された社名です。会社の名前を社員全員で決める会社…というところから、もしかすると私の経営スタイルがご理解いただけるかもしれませんね。

 

この組織をただの“作業場”から“会社”に変える!

1990年に大学を卒業後、私はエンジニアとして東京で働いていました。
「両親の面倒を見るために、いずれは故郷の大分に帰ることもあるだろうな」と考えていたため、内定が出ていたいくつかの会社から、大分工場を持っている東芝を選びました。
実は、実家が東芝の下請け会社だったこと...

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プロフィール

  • 安部征吾氏

    大分 デバイステクノロジー 株式会社 代表取締役

    1967年、大分生まれ。横浜国立大学工学部卒業。大手電機メーカーにて半導体プロセスエンジニアを経験し、1998年に後継ぎとして現在の会社に入社。2001年より現職。同社では半導体パッケージ組立や同設計・試作・開発支援事業で国内外よりお引き合いを頂いている。地方の中小企業に見られる典型的な下請け型企業体質からの脱却を図るべく、技術開発型企業へと変貌を遂げようとしている経営実践は、経営者団体等でも講演実績多数あり。地元大学で非常勤講師も兼任。好きな言葉;「為せば成る」趣味;「釣り・ゴルフ」