TOP 私が経営者になった日 【YKK AP株式会社 堀社長】着眼大局、着手小局。常に社員のことを一番に考えていく。(Vol.3)

2021/11/30

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私が経営者になった日

第75回

【YKK AP株式会社 堀社長】着眼大局、着手小局。常に社員のことを一番に考えていく。(Vol.3)

  • 経営
  • キャリア
  • 経営者インタビュー
  • YKK AP株式会社 代表取締役社長 堀 秀充氏

 

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社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

 

YKKグループでファスナー事業と並ぶ建材事業を担い、窓やカーテンウォールでは国内トップクラスのシェアを誇る。最近では「窓の会社」としての企業ブランドCMが印象的なYKK AP株式会社 代表取締役社長 堀秀充氏に3回にわたってお話をうかがいました。

 

第2回はこちら)

 

3.11で社長の視点を学ぶ。

商品はいいけれど、社員に元気を感じられないという顧客の声を受け止めながら、2011年には社長になる。

 

「今は相談役になっている吉田忠裕社長が、社長は65歳定年制とご自身で言っていた。年齢的にいうと2年ぐらい余裕があったし、社長はずっと創業家で来たので、社長が変わるとは誰も思っていなかったでしょう。2011年の2月の終わりに呼ばれて、社長をやってくれと突然言われました。
びっくりするようなことだったので受け止められなくて、あ、そうですかって言うぐらいしかなかったなという感じでした」

 

そして社長になる3ヶ月前、3月11日。東日本大震災が起きた。

 

「社長になると言われたすぐ後に3.11が起きて、非常に大変なことになりました。
震災直後、東北の壊れた設備の代わりをどこから持ってくればいいとか、建物がどうだとか、復旧計画をどうするかとかという話を会議でずっとやっていたら、当時の社長の吉田忠裕が“そんなことはどうでもいい、社員全員の安否が分からないうちに、お前たちは何を言っているんだ”と言ったんです。

 

管理部門も生産部門も今後の事業運営をどうするんだという話ばっかりのときに、社員の安否を一番重要事項にした社長。そういうところが社長はひとつ大きいのだと気がつきました。

 

はっきり言うと、社長になると出世欲はなくなるんです。会長になりたいと思ってないですし、いわゆる出世欲がなくなる。今まで上司を見ておけば良かったのに上司がいなくなると、社員を見るようになる。それは非常に勉強になって、社長というのはそういう存在なんだなとつくづく思いました。多分、あのときの自分が社長だったら、そこまで社員の安否を気遣う感覚よりも、どうやって復旧していくのか、会社はどうなるんだっていう方が気になったので、私にとってはそういう見方をすることがひとつ衝撃でした。

 

そこから社員というのを常に意識しています。今、海外や派遣社員も入れると1万8000人...

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プロフィール

  • 堀 秀充氏

    YKK AP株式会社 代表取締役社長

    福岡県北九州市出身。慶応義塾大学卒業後、1981年YKK株式会社(旧吉田工業(株))入社、経理部配属。1989年YKKUSA社赴任、管理マネージャー。1992年7月YKKAPアメリカ社管理部長、米国建材事業の立ち上げを担当。1997年、同バイスプレジデントとして、経営企画を担当。2000年1月YKKコーポレーション・オブ・アメリカバイスプレジデント、同年5月YKKコーポレーション・オブ・アメリカシニアバイスプレジデント、YKKグループの北米統括会社にて経営企画を担当。17年間の米国赴任を終え日本帰国。2006年10月YKKAP株式会社経営企画室長、翌4月執行役員経営企画室長。2009年4月上席常務事業本部長として国内営業部門の責任者。2011年6月YKKAP代表取締役社長に就任。