2021/11/30
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私が経営者になった日
第74回
【YKK AP株式会社 堀社長】富山からアメリカへ、構造改革や75億円の工場立ち上げを経験。(Vol.2)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- YKK AP株式会社 代表取締役社長 堀 秀充氏
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
YKKグループでファスナー事業と並ぶ建材事業を担い、窓やカーテンウォールでは国内トップクラスのシェアを誇る。最近では「窓の会社」としての企業ブランドCMが印象的なYKK AP株式会社 代表取締役社長 堀秀充氏に3回にわたってお話をうかがいました。
(第1回はこちら)
役員から学んだ経営者としての視点。
「工場勤務は、あまりいい環境とは言えなかったし、仕事も大変でしたけど、最後は副会長までなった役員が目をかけてくれて、私も尊敬していたので、その人がいなかったら多分今頃いなかったし、辞めていたかもしれません」
経営陣のひとりである役員と、新入社員ながらいろいろな話をできた中で、経営や経営者について学んだことはあるのだろうか。
「ありました。工場ですから、いわゆる管理会計をやるのですが、YKKのものづくりは一貫生産を原則にしているので、各工程が全部自社内だけでつながっているわけです。だから、なかなか外と触れるというか、競争するというふうにはならない。もちろん最終工程は商品ですから競争しますけど、中間工程では全然競争するものがないんです。
そこでその役員は、その外に触れてない中間のいろいろな工程に、競争を持ち込むための管理体系、独立採算制度を作っていました。そして、あくまでも自主管理をさせながら、機械から何から全部造るようなところに、外との競争をバーチャルでつくり出す。中間工程にも外との比較でバーチャルに売り上げを立てさせて、厳しく収益を求める。そういう形で、常に収支的にプロセスを見ていくという視点を持つことを学びました」
また人柄の良さも、マネジメントスタイルでのひとつのロールモデルとなった。
「仕事の部分ではそういう厳しい競争原理を、社内の会計の中で入れながら、本当に優しく威張らない方でした。気さくだったし、面白い。あんまり冗談はうまくなかったですけれど。だから下からも慕われていました。
その役員だけではなく、管理職で威張る人はいませんでしたね。それはなぜかといったら、YKK創業者の吉田忠雄という絶対的な存在があったからかもしれません。ひとり飛び抜けたカリスマがいたので、その下には格差がなくて平等みたいな、そういうイメージでしょうか」
入社8年目にアメリカ赴任。
入社8年目に工場の経理業務からアメリカへ赴任となった堀氏。
「当時アメリカに、結構人を送り込んでい...
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