2021/11/18
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イマ、ココ、注目社長!
第192回
これまで思っても言えなかった多様な価値観が事業に。【前編】
- 経営者インタビュー
- 経営
- 組織
- 注目企業
- 大瀬良 亮氏 株式会社KabuK Style 社長/共同創業者
定額制宿泊サービス「HafH(ハフ)」の運営、宿泊及び賃貸運営業、旅行業を展開するKabuK Style(カブクスタイル)。一人ひとりが多様な価値観をそのままに選択できる、傾く《かぶく》生き方ができる未来を創るために邁進しています。「旅しながら働く」生き方をサブスクで提供する、社長/共同創業者の大瀬良亮さんに伺いました。
(聞き手/井上和幸)
私は電通人であり、長崎人である
──まずは筑波大学を卒業されて電通に入社されたところからお伺いします。電通を選ばれた理由はどのようなところにあったのでしょう?
大瀬良 私は長崎出身ということが、自分のなかに強いアイデンティティーとしてあります。「地方から世界に向けて何か面白いことやっていきたい」という考えがずっとありました。
就活をする年になり、やはり長崎を世界に発信していきたい、地元を発信していきたいと思うなかで、メディアに関わり、発信の仕方に対してプロフェッショナルリズムを持ちたいと思い、マスコミを中心に就活しました。
電通に就職すれば、1つのメディアに捉われることなく、世界に対し、大きな発信力を持って進められるチャンスがあると感じました。
──配属はどちらでしたか?
大瀬良 ソフトバンクモバイル担当の営業職でした。MNPが始まって、大々的に広告展開が広がり始めた時期です。仕事は充実していましたが、一方で長崎への想いも忘れられず、県人会みたいなことをずっとやっていました。100人を集めての県人会を主催して、地元出身のアーティストなど巻き込みながら開催していました 。
──そうなのですね。地元・長崎と関わりながら仕事をするというお気持ちは、ずっとおありだったのでしょうか?
大瀬良 自分のなかでは、仕事とプライベートの垣根を作るという意識が、ずっとなかったとは思います。仕事もすごく楽しくやっていました。オンオフがない。ワークライフバランスという言葉に違和感があるというか・・・。
──全く同感です、僕もそう思います。
大瀬良 最初から分けずにやっている。ライフワークとしての電通人であり、長崎人だという形でやっていました。
働き方改革を変えなければならない
──その後、政府で働くようになったのですよね?
大瀬良 電通の仕事というわけではなく、そのような枠があるのを偶然知って、自分で応募したら採用いただきました。
──そうだったのですね、会社からではなく、きっかけは大瀬良さん自身で応募されたのですね。
大瀬良 僕は筑波大学の国際政治学科で学位を取っていて、卒論が「首相官邸における議員内閣制の変化」。各国の議員内閣制を比較研究していました。採用いただく自信は少しあり、採用をいただきホッとしたのを覚えています。
担当したのは官邸広報のお手伝いです。いろいろアイデアを出していったら、「どんどんやろうやろうよ」と言ってくださって。1年の予定が3年間いることになり、2015年から2018年の3年間、海外出張に同行させていただきました。政府専用機に乗って、片道26時間かけて出張先に朝着いて、公務が終わればまた帰る。
── 強行スケジュールですね!
大瀬良 往復52時間かけて、滞在時間14時間。そんな日々です。その翌々日にはシンガポール経由で、ナイロビに行って、国際会議の出張に同行することもありました。そうすると、「先週どこに行ったっけ?」とかあんまりよく分かんなくなってきて(笑)。
──そうなりそうですね(笑)。
大瀬良 そうなってくると、Wi-Fiとパソコン、携帯さえあれば、どこでも仕事ができるみたいになって。「もう、場所なんてどこでもいいや」と。
──なるほど。そして各国を見た気づきから、御社を創業されたと聞きました。
大瀬良 そうです。出向前、僕は電通に勤めて住まいも港区でした。港区で起きて、港区で働いて、港区で遊んで、港区に帰るみたいな日々。それはそれで楽しかったんだけど、お風呂にずっと浸かって、「気持ち良いよね」と言っているような感じがずっとしていたんです。
東南アジアなどに行くと、日本に憧れていることを感じる。すごく目をキラキラさせて、日本がどれだけ素晴らしい国か、どれだけ自分が日本で働きたいかを語ってくる。自分たちの国は成長する。これからは自分たちの時代だとインドネシアのバリにいる大学生が英語で語ってくる。母国語じゃない言葉で伝えようとする。彼らのような存在に日本では会えない。熱いパッションを感じるなかで、僕は危機感を感じ始めました。
──とてもよく分かります。
大瀬良 日本では将来有望だと言われてきた人たちが、電通事件をきっかけに、働きにくくなっている。人口減少、少子高齢。日本の将来はちょっと暗いぞとみんなが分かっていて、年金もうヤベェぞと分かっている。だからイノベーションが必要だってのも、言われなくても耳タコで、分かっている。だから、やっているのに、やろうとすると止められる。
これはどういうことなんだ?
もちろん、やりたくないのに無理矢理やらされて、その結果命まで奪われるようなことなんて絶対あってはならないし、止めなきゃいけない。でも、これからの日本の未来とか、地球の未来に向けて走れる人たちまで、そして走りたいと思っている人たちまで止められるのってどうなの?と。
──そうなんですよね。
大瀬良 自分のなかですごく苛立ちと矛盾がありました。働き方改革に対しては、安倍政権のなかにいながら、ずっと違和感、疑問を持っていました。働き方改革は、やりたくない人に合わせてルールを作ることでなく、やりたい人はやって良し、やりたくない人は休んで良しと選べる、選択肢を持つことが、これからの未来に必要なんじゃないかと。
「ここをどうにか変えなきゃいけないよね」と考えていて、それは官邸から電通に戻ってきても、その、「変わんなきゃいけない」という想いは自分のなかにずっとありました。帰ってきてから、何か変わるかと期待していたけれど、何も変わらない。もう無理だと思い辞めて、会社を作ることにしたんです。
多様な価値観を持った誰もが、 気持ちよく過ごせる世界を作りたい
──具体的に、このテーマで起業しようとなっていく経緯をお伺いしてもよいですか。
大瀬良 HafHという事業を行う前から、KabuK Styleという会社は立ち上がっていました。作ったのが砂田憲治という僕の大学時代の同級生というか、バイト仲間なんです。
──そうなんですね。
大瀬良 同じホテルのバーで働いていました。彼がバーテンダーという中の人で、僕が外でウエイター。僕が外から注文を聞いて中に伝え、裏で砂田が作っているというのは、20年経っても変わらないんです。共同創業者である彼の存在は非常に大きいです。彼は代表取締役。僕が社長。英語で言うと、CEOとCOOでやっています。
彼は金融畑で僕は広告畑。右脳と左脳じゃないですけれど、頭の思考回路がまったく違うんです。けれど、先に見えているものは近いところがある。話しているなかで「長崎で面白いことをしようか」とか「10年も働いてきたから、そろそろ会社とか仕事はいいか」みたいになって。そこからHafHの元が出てきたんです。
僕自身、どこでも働ける、どこでも暮らせるところに興味や関心、市場の広がりを感じた。彼は日本の萎み行く未来に対する危機感と資本主義の次ってどういう世界なんだろうね、みたいな、ぶっ飛んだことを考えていた。 多様性とかSDGs的な話をしているところで我々のなかに共通項が見えてきました。
多様な働き方、多様な暮らし方が、当たり前になる世界。いまの時代は実はマイノリティーと言われている人たちを足し合わせた方が、普通って言われている人たちより多いんじゃないかとか。そういう話題を酒の肴にしながら、あれこれあれこれ話して、まずはひとつ、マイノリティーというか、特徴ある、「自分はこういう人間です」と言える人たちが、気持ちよく言える世界を作っていきたい。長崎の出島がそういう場所であるべきだよね、という流れです。
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