2021/07/12
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私が経営者になった日
第68回
【ダイヤ精機 諏訪社長】社長の仕事は 常に未来を考える 『何でも屋』だ。(Vol.2)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪 貴子氏
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
国内でも数少ない自動車部品用ゲージの超精密加工技術を持つ企業を、創業者である父の急逝で承継。専業主婦からの転身で「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞(リーダー部門)、東京商工会議所「勇気ある経営大賞」、東京都中小企業ものづくり人材育成大賞知事賞「奨励賞」など、経営者として数々の賞を受賞したダイヤ精機株式会社 代表取締役社長 諏訪貴子氏に3回にわたってお話をうかがいました。
(第1回はこちら)
「3年の改革」に勝負をかけた。
社長として最初に最も辛いリストラを行なった諏訪さんの、がむしゃらな3年が始まった。
最初は、会社の数字を安定させることを第一優先に、どういう施策をとればどういうふうになるのかという勝率を軸として、手を次々に打っていったという。
「まず一番初めに経費の徹底的な削減とリストラを行って、2カ月で黒字転換させたんです。しかし、それは、無理やりのコストコントロールで黒字を出したに過ぎません。3年間続けてやっていくためには生産効率を考えて、ローコストオペレーションで利益を出していかなければならない。そのローコストオペレーションのための仕組みづくりを考えて実行していきました。
さらに、私と会社に対して業務改善を提案する場としての通称『悪口会議』も始めました。敵対する共通の存在がいることで人は一致団結しますから、その敵対する存在に私自身が敢えてなることで、みんなの意識のなかに『危機的状況下の一体感』を作り出そうと考えたのです。悪口会議のルールはひとつ、“社員同士の悪口を言ってはいけない”ということでした。結果的に、若手社員主体の改革案もどんどん出されるようになり、社内改革のエンジンとなっていきました。」
経営者とは何だろう。
就任早々、さまざまな経営施策を打っていった諏訪さんだが、実は経営について改めて学んだことはないという。
「経営学者の先生にも聞かれるんですけど、お恥ずかしい話、経営については全く学んだことがなくて。ドラッカーもちょっと買ってみたんですけど、私には合わないなと3ページでギブアップしたみたいな。」
経営に関する経験もなく、系統立てた勉強もしていなかったというのに、なぜ短い時間で、コストコントロールや、その後のオペレーションを考え実施することができたのだろうか。
「私、最初に経営者って何だろうってインターネットで調べたぐらいなんです。でもやっぱりよくわからな...
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