2021/05/31
1/1ページ
CxOの羅針盤
第4回
ビジネスぎらいの学者志望が本気で経済と向き合った理由――マザーハウス山崎大祐氏に聞く副社長としてのありかた【後編】
- リーダーシップ
- マネジメント
- キャリア
- 組織
- 山崎 大祐氏 株式会社 マザーハウス 代表取締役副社長
企業における最高責任者、いわゆる“CXO”として活躍中のビジネスパーソンのエピソードから、次世代CXOへのキャリアパスを探る「CXOの羅針盤」。
株式会社マザーハウス・山崎大祐氏の後半は、ゴールドマン・サックスでの経験をフルに活用しながら、マザーハウスのビジネス構築に取り組んできた過程について。また、会社の理念である「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を本気で実現するための、未来予想図についてうかがった。
(前編はこちら)
ちゃんとビジネスを作らないとみんなが犠牲になる
井上 ここからはマザーハウスの成長の軌跡をたどりながら、副社長としての山崎さんのご活躍を振り返っていきたいのですが、創業時はどういったメンバーでスタートされたのですか?
山崎 最初は本当にお金がなかったので、組織とかを考えるゆとりはまったくなくて、まずは自分の友人でITとか金融とか商社とかではたらいていて、それなりにビジネスをわかっていそうな同級生に声をかけました。SFCの卒業生は結構いろいろな人がいますから。みんな手弁当で手伝ってくれて、本当にありがたかったです。
“経営”を意識し始めたのは、売上げが1億、2億になったあたりからでしょうか。4,5年目くらいですね。このタイミングで初めて、1年かけて口説き落とした人材を、アパレルというかファッション業界から採用したのですが、それまでは僕自身、完全にプレーイングでした。木を切って店を作るとか、店頭に立って販売するとか。経営どころの状態ではありませんでしたね。
井上 その4,5年目には、組織はどのくらいの大きさになっていたのですか?
山崎 日本で30〜40人くらいでしょうか。
井上 だんだんと会社組織の体になってきましたね。
山崎 この頃になると、「こんな働き方にはついて行けません!」「この給料じゃ無理です!」と、メンバーに突きつけられはじめていました。僕自身も1年362日くらい、朝から夜中まではたらいていたのに、利益は上がらないし給料も増えない。山口ともめちゃくちゃ仲が悪くなっていて、2人とも「もう辞めてやる!」とか言っていました(笑)。それでやっと、なにかやり方が間違っているというか、「自分自身が経営者にならなければいけないんだ」と気づいたわけです。
それまでは学園祭みたいな感じですよね。「みんなで頑張ろうぜ!」みたいなノリで。でも、ちゃんと計算してちゃんとビジネスを作らないと、こんなにもみんなが犠牲になるんだと実感して、そこから3,4年で評価システムを作って、ファイナンスモデルも全部組み直して作ってみた。このとき初めて実感しましたよね、「ああ僕、ゴールドマンでは...
こちらは会員限定記事です。
無料会員登録をしていただくと続きをお読みいただけます。