2021/05/24
1/1ページ
CxOの羅針盤
第3回
ビジネスぎらいの学者志望が本気で経済と向き合った理由――マザーハウス山崎大祐氏に聞く副社長としてのありかた【前編】
- リーダーシップ
- マネジメント
- キャリア
- 組織
- 山崎 大祐氏 株式会社 マザーハウス 代表取締役副社長
今回ご登場いただくのは、途上国の素材を使ってバッグやジュエリーといったプロダクトを販売。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というミッションを掲げる、株式会社マザーハウスの副社長の山崎大祐さん。
元ゴールドマン・サックスのアナリストという経歴を伺うと、現在の役職には納得感もあるが、その経験と手腕を本当の意味で発揮できたのは、同社にジョインして4年も経ってからのことだったとか。そもそも「金融もビジネスも大嫌いだった」と話す山崎さん。なぜ、ファイナンスを極めようと思われたのか。そして、ビジネスに携わる中で感じた専門職と経営者との大きな違いとは?
「金融とかビジネスとか、大嫌いだった」
井上 慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)の総合政策学部を出てゴールドマン・サックスへ入社されていますが、まずはこの当時の仕事観、就労観からお聞かせいただけますか?
山崎 実は僕、もともとは物理学者になりたいと思っていた人間で、高校時代は絵に描いたような数学バカ、物理バカ。英語の偏差値なんて45しかありませんでした(笑)。なので、慶応以外の大学はすべて物理学科を受験していたんです。
SFCの総合政策学部を受けたのは、自分の選択肢の中に“メディア”があったことを思い出したから。でも、ほとんど記念受験のノリで、合格発表の日も彼女とディズニーランドに行ってました(笑)。
井上 物理学者とメディアだとずいぶんな振れ幅がありますね(笑)。
山崎 最初に意識した仕事がメディアだったんです。小学4年生の時にテレビでベルリンの壁が崩壊する瞬間の映像を見て、子どもながら「世界を変えるのは大衆なんだ」「この歴史的瞬間を撮っている人がいるんだ」と興奮して。でも、合格した後に、物理学者になるべきかメディア業界に行くべきか悩んでいたら、周囲から「おまえに学者は向いていない」「そもそも研究室になんてこもれないだろう」と言われまして。当時からよくしゃべる人間でしたからね(笑)。
井上 社会課題に対する関心は、小学生の頃からあったんですね。
山崎 僕自身が母子家庭で経済的に厳しかったこともあって、大学に入ってからは同じような厳しい家庭を見てみたいと、ドキュメンタリーばかり撮っていました。ベトナムでストリートチルドレンを撮影したことが、実質的な途上国との出会いになります。彼らは本当に貧しいのに、めちゃくちゃ笑顔で、パワーがあって。こういう子どもたちの純粋なエネルギーをカタチにするような仕組みを作るべきだと強く感じて、日本に戻ってきてから経済学を真剣に勉強しました。
本当は僕、金融とかビジネスとか大嫌いだったんですよ。「ビジネス=金儲け...
こちらは会員限定記事です。
無料会員登録をしていただくと続きをお読みいただけます。