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2020/12/10

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ビジネス著者が語る、リーダーの仕事術

第93回

書くのが苦手で嫌いだった私が、なぜ書けるようになったのか

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もう26年にわたって文章を書く仕事をしている、ということもあると思うのだが、一般のビジネスパーソンから、文章にまつわる、こんな悩みや質問をもらうことがよくある。   「とにかく時間がかかる」 「書くことがない(研修の感想文などで)」 「構成がうまくできない」 「長さにひるむ」 「手戻りが多い」 「読みづらい(といわれる)」 「伝わらない、刺さらない」 「言葉づかいがひどいと指摘された」   この悩みを章のタイトルにして、それぞれに解決案を提示し、1冊の本に仕上げた本を刊行した。『文章の問題地図』(技術評論社)だ。

本を40冊以上も出していて、自分の本のみならず他の経営者の本などの執筆も手掛けていて(私はこの仕事をブックライターと名付け、100冊近く書いている)、さらに雑誌やWebサイトでたくさんの記事を書く日々を私は送っている。

 

こうなると「子どもの頃からさぞかし文章を書くのが得意だったんでしょうね」「文章を書くがお好きなんですね」といわれることになるのだが、事実はまったく異なる。これは高校時代、大学時代の友人たちはよく知っているのだが、まったくそんなことはないのである。

 

受験科目も国語が苦手。小論文のある大学は速攻で受験校から外した。お恥ずかしながら大学のときのレポートなどは、資料をそのまま書き写していた。書くのが苦手だったからだ。中学の頃も小学校の頃も作文は大嫌いで、何よりも嫌いだったのは、読書感想文。そう、私は読書も嫌いだったのである。

 

書くことはもちろんのこと、読むことすら嫌いだった。そんな私が大人になって、文章を書くことで生計を立て、しかも人の本の執筆をお手伝いするようになるなどとは、本当に夢にも思わなかった。

 

実際、キャリアのスタート時点でも、私はまったく書けなかった。バブル期だった大学時代は、広告産業が華やかな頃。当然、業界大手に潜り込むのも最難関。鼻っ柱だけは強かった私は、まずそんなところから広告の世界に興味を持つことになった。

 

そして大学3年のとき、運命の映画に出会う。それが『CF愚連隊』。後に主演の佐藤浩市さんに取材したとき、「佐藤さんのおかげで文章を書く仕事をすることになったんです」と告白して佐藤さんを驚かせてしまうことになるのだが、この映画に感動した私はCMや広告の世界に入ることを自分で決意したのである。

 

だが、就職活動で玉砕。アパレルメーカーに入社したが、1年半でリクルートが新しく広告制作会社を設立するという求人広告に出会う。その採用試験に合格し広告の世界に入ることになった。

 

「文章が嫌いだったのに広告とは?」と感じる人もいるかもしれないが、広告の文章は書くというより、言葉を見つけるものだと思っていた。キャッチコピーはせいぜい数行。文章を書くことになるなどとは思わなかったのだ。

 

ところがリクルートグループに入ったことが、私の運命をまた変えた。携わることになったのは、採用広告。カッコいいフレーズを1行作ればいい、という仕事ではなかったのだ。会社の魅力を、きちんと文章で伝えなければいけなかった。

 

かくして苦手で嫌いだった文章と、格闘することになる。それこそ当時は、300文字書くのに1日かかっていた(今は1日3万字書くこともある)。そんな私がなぜ、文章を書けるようになったのか。書くことで苦闘している間に、大きな気付きを得ることになったからである。

 

おそらく、文章が得意だったり好きだったりしたら、これはきっと気付けなかったはずだ。そして、ここに気付けたからこそ、後に20年以上にもわたってフリーランスとして実績を積み上げることができた。そう確信している。

 

プロフィール

  • 上阪 徹氏

    上阪 徹氏

    ブックライター

    1966年兵庫県生まれ。リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスに。
    著書に『JALの心づかい』『社長のまわりの仕事術』『あの明治大学が、なぜ女子高生が選ぶNO.1大学になったのか』『10倍速く書ける 超スピード文章術』『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』など多数。インタビュー集に『外資系トップの思考力』『プロ論。』シリーズなど。
    他の著者の本を取材して書き上げるブックライター作品も60冊以上に。

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