2020/12/07
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私が経営者になった日
第49回
【将積保博氏】出会いと学びで人生も広がったNY時代。(Vol.1)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- テックマークジャパン株式会社 代表取締役社長 将積 保博氏
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
欧米に比べ国内では認知度が高くなかった延長保証制度。その日本での先駆者的存在として、マーケティング視点からのアプローチで、クライアント企業の経営にも関わるサービスを提供し、成長を続けるテックマークジャパン株式会社 代表取締役社長 将積 保博氏に3回にわたってお話をうかがってみました。
諦めずに言い続けて叶えたNY勤務。
学生時代はなんとなく会計士を目指していた。生命保険会社に入社したのは、資産運用業務に興味があり、海外、特に一大金融市場であるニューヨーク(NY)で働きたいと思っていたからだ。
「二次面接でNYにも行けばいいと言われてその気になっていたのに、いざ配属は松戸支社の営業部門。“全然ちゃうやん”と思いました」
その当時、営業部門と希望の資産運用部門はほとんど交流がなく、先輩からは“一生営業だから、営業で頑張れ”と何度も言われ、自分でもそうなのかなと思い始めた。通常6年位で機関長(営業支部長)となるところ、わずか入社2年目で、いきなり日本橋という激戦区で支部に就任する。
「母や姉位の年上の部下が20人ぐらいいて、“女心がわからない”と毎日ボコボコにされながらも頑張りました」
その結果、将積氏の営業所は好業績をあげ、『社長賞』を取る。
「社長賞を取ると、人事部長が“次はどこへ行きたい?”と希望を聞いてくれる慣例があり、私は“NYに行きたい”とまた言いました。部長に“社員1万7千人のうち、NY勤務は13人位しかいない。確率論で、どのぐらいの可能性かわかるよな”と言われたのを今でも覚えています。ところが、ちょうど国際投資部門を強化するというタイミングで、その2年後位にNYに行きました。だから人間は、諦めずに言い続けていれば何とかなることもあるのだなと思いました」
マネジメントスタイルはそれぞれでいい。
若い将積氏が、激戦区で20名もの強者営業レディたちを抱え、社長賞を取ったのには何かマネジメントの秘訣があったのだろうか。
「最初は、ブービー賞からスタートして、3年くらいかかって社長賞を取りました。所長研修はありましたが、マネジメントの共通マニュアルがかっちりあるわけではなかったので、自分はこういう経営をしたいという独自色を出すために小さなことから試行錯誤しました。例えば、棒グラフで全員の個人業績を比較して...
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