2018/11/01
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異能の経営者 ~ I know. ~
第8回
【米田純氏】50年ぶりの「新球団を作る」という仕事とは?(Vol.3)
- 経営
- キャリア
- 経営者インタビュー
- 米田 純氏 Food's Style株式会社 代表取締役社長
日本食レストランの海外出店をサポートするFood’s Styleの代表取締役社長・米田純氏は、西武百貨店での経験を活かして当時まだ小さかった楽天に入社する。
マーケティング職として極めていこうという矢先に起きたのは、球界再編問題だった。球団設立を任された米田氏は、どのようにプロ野球チームを作っていったのか。また、その間にずっと考えていたこととは何なのか。
詳しく話を聞いてみた──。
■ゼロの状態からプロ野球チームをつくる。
――楽天に入社されて、しばらくはECのマーケティングにどっぷり浸かっていくわけですね。
いえ、2003年の3月に入社したんですが、ちょうど1年半ぐらい経って「これからだ」という時に、球界再編問題が起きるわけです。
――あ、あの近鉄がなくなった時の。
そうです。近鉄がオリックスと合併して、もしかしたらもう1球団合併して、10球団になるんじゃないかと。それで1リーグになるんじゃないか、みたいな1リーグ構想があって。さらに、それに反対する選手会がストを起こしたりもしました。
――ありましたよね、野球選手のストライキ。
そんな中でどういった経緯なのか詳細は分かりませんが「楽天が参入する」ということになり、準備室ができたんです。それで「野球経験者はいないのか」という話になりまして。
――なるほど。社内で誰かいないか、と。
当時、六本木ヒルズに移ったばかりとはいえ楽天はまだ小さくて、僕が400番目の社員だったんです。しかもIT企業って結構、野球経験者は少ないんですよね。それで白羽の矢が立ちまして。
――ここへきて野球に関わる仕事が来る、と。
ええ、お話しした通り、僕はずっと野球やってきて、野球に関わる仕事がしたくて西武にも入ったわけで。それまでのいきさつも含めて「野球の仕事をやっぱりやってみたかった」という思いがありましたね。なんとか球団に入りたくて用具係ですらも断られて一回は諦めていたんですけど、「ここできたか!」と思ったんです。社長室に呼ばれて「やらないか」って話をされて、もちろん「やります」と。
――すごい話ですよね。
それで最初はマーケティングと兼任だったんですけども準備室に入りました。報道でご存じの通りライブドアと楽天の2社で参入審査があって、最終的に楽天が採用されたんですよね。決定したのが2004年の11月でしょうか。その時点になってようやくマーケティングの仕事は後任に引き継いで、楽天野球団という会社に出向という形で入りました。
――それで球団代表になったわけですね。
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